文学の仕事
小説や詩歌というものに触れることもなく、
美術館やコンサートやライブや、映画や芝居に出掛けることもないまま、
生きていくことは可能です。
実際、世間にはそういう人はたくさんいます。
では、文学や芸術の仕事とは一体何なのだろう?
という、加藤周一氏の書いた文章を、今、生徒たちと一緒に読んでいます。
氏は、三つのエピソードを連ねます。
孔子は、目の前にいる重い荷を背負わされて苦しんでいる牛を助けたいと言います。
それを聞いた弟子達は、苦しんでいる牛は世の中にたくさんいるのだから、この牛だけを助けても仕方がないでしょうと言います。
アンゲロプロスの映画に登場する、病魔に侵されたある初老の男は、目の前にいるアルバニアの難民の少年を自らの危険を賭して助けようとします。
少年の運命は、アルバニア人全体の運命と同じだと男は考えたからです。
木下順二の戯曲に登場する、生活のために役所の書記をしている元役者だったポーランド人は、
その街に住む知識人たちを粛正するために現れたナチの将校の前で、自分は書記ではない、役者なのだと主張します。
書記であることが知識人ではなく、役者であることが知識人であるという色分けはすぐに納得できるものではないにせよ、ナチにとって、書記は知識人ではなく役者は知識人なのです。
彼は、彼が元役者だったということに懐疑的な俳優志願の青年とナチの将校を前にして、『マクベス』の一場面を演じます。
そして、彼は役者として、知識人のひとりとして、処刑される人々の列に並ぶのです。
彼はひとりの青年のために演じたのではなく、ポーランド人全体のために演じたのだと加藤は言います。
孔子や、アンゲロプロスの映画の初老の男や、自身が役者であることを証明しようとした男に、「情熱」を引き起こすもの、それが「文学の力」なのだと加藤は言います。
目の前の牛や、難民の少年を引き受けようとすることより、見て見ぬふりをする方が、いわゆる世間で言うところの「賢い生き方」です。
役者であるという自身のアイデンティティーを捨て、役所の書記として生き延びることを選択する方が、「賢い生き方」です。
でも、「賢くない生き方」を選択する「情熱」の中にこそ、実は大切なことがある。
それを引き起こすもの、指し示してくれるものが「文学の力」なのだと加藤は言います。
ボクは、三十数年、高等学校の国語教師をしてきました。
ボクが、若者たちに伝えたいと思い続けて来たことがここにあります。
戦前戦中の教師は、国のために戦い死ぬことを若者に称揚しました。
戦争に敗れたあと、その同じ教師たちの多くは、その同じ口で、民主主義の時代がやって来た。これから君たちは自由なのだ。と、言いました。
時代の流れに乗り、「普通の考え」に沿って生きることが、「賢い生き方」なのかも知れません。
でも、目の前にある個から始まるという思い、自らが行動するのだという「情熱」に突き動かされながら生きることこそが、人間の生きる究極の目的なのではないかとボクは思います。
そして、
そういうことは、「文学」が、「芸術」が、語らなければ誰も語らない。
という加藤の言葉には、重みがあるとボクは思います。
教職員みなが出入りする、職場の教務室の壁に貼られていた「九条の会」のポスターは、いつの間にか剥がされています。
「九条の会」の呼びかけ人は、加藤氏は元より、多くの人がすでに世を去りました。
教師は、「賢い生き方」を教えることを、昔以上に求められるようになっています。
「賢い生き方」を伝えることが自身の仕事だと考えているらしい、或いは、何にも考えていない教師が、
自身も「賢い生き方」を追い求めている教師が、昔以上に増えているように感じます。
「賢い生き方」から自らを解放すること。
そこからすべては始まるのだと、「賢くない」ボクは今も思っています。
個の向こう側に全体はある。森を見るためには、まず目の前にある木を見なければならない。
そういう視点を、ボクは最後の最後まで、失いたくないと思っています。
それが、人間としての「誇り」なのだと思っています。
「文学」や「芸術」の仕事は、そういうことを語り続けることなのではないかと、
それがボクのやって来た、これからもまだやっていくべき仕事なのだと、
「賢くない」ボクは、思っています。