使い捨てにされてもいいのでしょうか?
近畿圏、というか関西圏の人、
地震に対する耐性、高くありません。
昨日の地震から、京阪神の人はみな、これが本震ではなく余震だったら……。と、びくびくしています。
一時、東北で暮らしていたことがあるからわかるのですが、
この国、東の方は、結構、揺れるのです。
この日本という国が、頼りない地盤の上に成立しているのであるということを、何となく、身を以て感じているところがあると思うのです。
そんな地盤の上に、原子力発電所なんちゅものを次々おっ建てて、
都心の近くに建てた方が、送電のこと考えれば効率がいいこと明白なのに、過疎化しかかっているようなところに、
わざわざおっ建てていることが、何を意味しているのか、ちょっと考えてみればわかることなのに、
多くの人々は考えないまま、ここまでやって来たのです。
「阪神淡路大震災」があったとはいえ、揺れに慣れていない人々が、恐れおののき過ごしている中、
公共交通機関が稼働しなくなり、帰宅難民が多数出ている中、
昨日ここで書いたように、この国の首相は、
どこかの誰かが用意した原稿を、ただひたすら棒読みし、
振り仮名が振られてなかったから、官房長官は、堂々と地名を読み間違える。
自分のコトバというものを持たない、いずれ劣らぬ痴れ者虚け者なのです。
そんな首相、昨夜は、東京・赤坂の高級日本料理店「古母里」というところで、
「高級料理」に舌鼓を打っていたそうで、この国の人々のことを露ほども考えるつもりもない。
自身のくだらない理念に賛同する者と、自身の身内の利益のことを優先し、
武器弾薬を売ったり買ったりすることで金儲けをすることしか考えていない阿呆のことを、
それでも、支持してやまない人々がいて、少なからずいて、
そういう人たちは、そんな輩を批判する人々のことを、「非国民」やら「国賊」呼ばわりしている。
おかしいやろ? 狂ってるやろ?
地震があって、それに怯えながらも、勤め先に何とか辿り着こうとする人々、
勤勉なのかも知れない。
でも、それは、雨が降れば、選挙に行くのを面倒がる人と同じ人々。
野党が頼りない。などようのメディアの言説に流されて、
やっぱり、自民党じゃなきゃ。などようのことを思っている信じているのと同じ人々。
「朝日新聞」なんて、左翼が読む新聞だよね。気持ち悪いよね。などようのこと真顔で言いながら、
実は、そこに寄稿している作家や学者の書いている文章を理解する言語読解能力を持っていない人々。
早晩、この国は滅びると思うのです。
バブルがはじけた頃から転がり落ちる坂道を、転がり続けていると思うのです。
阿呆どもが叫んでいる「改憲」が、現実のものとなった時、
この国は、滅びます。滅びの中で、多くの人々は、使い捨てにされます。
過去、この国に使い捨てにされた人々を、「英霊」などと讃える声に騙されてはいけません。
使い捨てにされる者どもに待っているのは、望まない「死」です。
何を大袈裟な。と、言うかも知れません。
ボクは、震災も恐いけれど、それと同じぐらいに、今の政情を、それ以上に恐ろしいと思っています。
もう遅いようにも思います。
でも、まだ、遅くない。と、声をあげ続けようと思っています。