古文を読むということ
今年度、たまたまそうなったとは申せ、
教師生活三十数年目にして、お初なのではないかと思われる、「現代文」専任……。
「漢文」は、講習などようのもの担当している(させられている?(笑))のですけれど、「古文」を精読することのない日々。
Twitterで「名歌を集めた短歌BOT」などようのものフォローしているので、
タイムラインに流れてくる「短歌」、ばかりでなく、「和歌」を目にするのですが、
さっき見かけた、『万葉集』所収の、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌、
来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを
おもしれーじゃん。浅学にして菲才ですゆえ、知りませんでしたわこの歌。
調べたところによりますと、藤原麿(ふじはらのまろ)の歌などに答えて贈った四首の返歌の内のひとつなのだそーですが、
あぁ、女心の切なさよ。すぐに行くよ〜。今から行くよ〜。と言ってあげたい感じ。
順に、
「来む」の「む」、「来ぬ」の「ぬ」、「来じ」の「じ」、
その次の「来む」の「む」、「待たじ」の「じ」、「来じ」の「じ」、「言ふものを」の「ものを」
の、文法的説明ができれば、
免許皆伝(何の免許か知らないけれど)、致してもよろしいかと存じまする。
るるるのる。