ない方がいいけどあるのがミスなのです
大阪大学に続いて京都大学も、出題ミスによる追加合格者を発表。
「人の人生をもてあそぶな!」という批判の声、満載なのですが、
ボクの場合、大学と違って、高等学校ですから、いささか話は違うとは申せ、
「出題ミス」はともかく、「採点ミス」というもの、「集計ミス」というもの、
人間のやることですゆえ、
必ずございます。
ボクが勤務するところの地方自治体は今、点数開示、答案開示などようのことを行っておりますから、
神経をすり減らしながら、誤りのないよう二重三重四重五重の点検チェックを余儀なくされながら、採点、選抜業務に当たっておりまして、
しかも、本府において、イチニを争う受験者の多い職場でありながら、教員の数は他校と変わりなく、
教員の高齢化も進んでおりますので、大変なことこの上ありません。
で、点数の開示、答案の開示などなかった頃は、採点ミス、集計ミス、
そんな今とは比べものにならないくらいに「あった」と思います。というより「あって」当たり前でした。
こう言っちゃなんですが、
ミスによって合格できた者、ミスによって不合格になった者、確実にいたと思います。
大学入試、問題を公開している以上、出題ミスは外部から指摘されますが、
答案開示をしているわけでなし、採点ミスや集計ミス、必ず「ある」と思います。
そりゃ、ミスは「ない」に越したことはありません。
だから、センター試験は、人の手を介さず機械で採点集計を行える、選択式・マークシートを採用している。
でも、限られた時間の中で、いくら厳重な手続きを踏んでも、
採点や集計が、人の手によって行われる限り、「誤り」、「間違い」は必ず起こります。
ボクが受験生だった頃、受験生自身も、幾ばくかの採点ミスや集計ミスがあるだろうことは承知の上で受験に臨んでいたのではないかと思うのです。
「"運"も実力のうち」って言いませんでしたか?
ミスによって合格するのも、ミスによって不合格になるのも、「運」なのだというぐらいに思っていたのではないかと思うのです。
ミスを犯さない人間はどこにもいません。人間が行うことである限り、必ずそこにはミスが生じます。
問題は、ミスに気づいた時、ミスを指摘された時、それに対してどのように振る舞うかということの方にあると思うのです。
大阪大学の件は、ミスを指摘されたその時の振る舞い方に問題があったと思います。
京都大学の件については、現在の報道だけでは、何に問題があったのか、まだ判断がつきかねます。
大阪大学や京都大学は、「権威」であるから、バッシングの対象になりやすいんでしょうけれど、
「出題ミス」はともかく、大学受験における「採点ミス」や「集計ミス」、
今でも、どの大学にでも、確実にありますよ。
ないに越したことはないのですけれど……。
にしても、両大学とも、ミスがあったの「物理」の問題だったというの、何かを示唆してるのかしらん?