愛すれば許せる愛されると許される

ガキの頃、


犬を飼いたいと言い出して、オヤジが拾ってきた(当時はまだ野良犬、結構いたのです)ワンコを、


最初は可愛がったものの、
コドモがひとりで十全に犬の世話などできるわけはないのだから、
それをちゃんとフォローできなかった親の責任でもあるのですけれど、
途中からまともに世話することを致しませず、


可哀相なことをしたという後悔のあるアタクシ、


小動物を初めとして、猫も犬も、生き物大好きだったにもかかわりませず、
野良猫がやって来て、糞をしてったり、屋根裏に入り込んで出産したりするのを、迷惑だと追い払う親の姿を見ながら、
ま、仕方のないことかと思っていたこともあったのですが、


猫は可愛いよ、という愛猫家の話を聞きながら、
家の中から外に出さず、隔離して飼っているのは可哀相。ニンゲンの傲慢というものではないか?


と、思っていたこともあるアタクシ、


考え方というのは変わるもので、


親として責任を持てないなら、子供がいくら欲しがっても、犬猫は飼ってはいけないのです。
家族なのだから、ニンゲンと同様、病気になったら、医者に連れてって診察治療してやらなくてはいけないのです。
その経済力がないなら、飼ってはいけないのです。
猫を室内に隔離して飼うのは、決してニンゲンのエゴではない。猫にとっても幸せなのです。
どうせ、犬や猫と暮らすのなら、ペットショップで大枚はたいて手に入れるのではなく、
このまま放っておいたら可哀相なことになるものどもを助けてやる方がいいに決まっているのです。
殺処分などようの言葉は、できれば聞きたくないのです。
本当なら、できるだけたくさんの命を救ってあげたいのですけれど、
経済力というものに限りがありますので、


一家にひとり、ニャンコかワンコはいかがでしょうか?


というような考えのニンゲンに、いつの間にやら相成っております。


大島弓子氏の『グーグーだって猫である』を1巻から再読し、続きを読んで、
町田康氏なども同じなのですが、


世間には、とんでもない人がいるものですねぇ。


でも、オレや、相方も、似たようなものかも知らん。


と思うと、


ニンゲン、どこでどう、考え方とか生き方というもの、変節致すかわからぬところがございますから、


不思議……。


すべては、



このコがウチの家族となったことに、


端を発しているのではありますけれど。


にゃ〜!