たられば

「でもしか教師」という用語、


現代においては、もはや死語かも知れませんので、


婆じゃなくて、もうじき爺なのですが、老婆心ながら解説致しますと、


企業戦士なんての大変そうだし、何より、誰かに使われるなんての性に合わないし、


かといって、特にやりたい仕事があるわけでもないから、就職活動なんてのにも本気になれないし、


上級公務員なんての目指すには、勉強しなくちゃいけないし、


「教師にでもなっておこうか」とか、どうせ「教師ぐらいにしかなれないし」


という事情で、教師になった人やっている人のことを言うのですけれど、


昨今は、教育委員会なるところに巣くっていた馬鹿者どもが、計画的採用というものを致しませんでしたので、


団塊の世代が大量に勇退していく中、全国津々浦々、教師不足にあえいでおりますので、


「だれでも教師」の時代が到来しております。


そりゃ、この国の教育水準、低下もしますよね。


ということなのですが、


アタクシ、本日、新しい用語を提唱致そうと思います。


名付けて、


「たられば教師」


もし、あの時、○○だったら、もし、あの時、○○していれば、


「教員」などようの仕事はしていなかったと思われる「教師」のことを言います。


それは、他でもない、アタクシのことです。


もし、あの時、○○だったら、アタクシは、


広告業界で、時代の先端走ってるよな顔して、カタカナ言葉を連発しながら、クライアントとなんだかんだの交渉していたかも知れませず、


新聞社で、あちこち駆けずり回る熱血記者になっていたかも知れませず、


IT企業のプログラマーなどやっていたかも知れませず、


居酒屋の雇われ店長だったかも知れませず、


はたまた、


食えない役者をやっていたかも知れません……。


冷静に振り返って、あの日あの時、


どれを取っても、それぞれ、同じぐらいの可能性があったんですよね。


だけんどもしかし、


アタクシは、「高校教師」なんてものやって生計を立てながら、


知る人しか知らない、知らない人は全く知らない、


バンドマンなどやっております。


それが必然だったのでしょうか?


それは、自分でもよくわからないのですけれど、


バンドマンとしましては、


こういうことを、こういう感じでやっておりますというイベントが、


三日後。


いつになく、日々のブログで、宣伝に相務めておりますが、



「からすプロジェクト Vol.2」


「行けたら」、「行ければ」、と仰らず、


お越しください。


皆さまのお越しを、心よりお待ち致しております。