ハッピーエンドが好きですか?

優しい音を浴びてきた翌日に言うのも何なのですが、


Bluetoothスピーカーなるものを導入して、
PC内に蓄積してある音源をランダムに垂れ流している中、


唐突に、


阿部薫のアルトの音が炸裂致して、


部屋中に充ち満ちる負のオーラ、半端無し。


心にグサグサと突き刺さって来るのですが、
かの役者、殿山泰司氏などがお気に入りだったのですが、
五木寛之氏などがレコードのライナー書いていたりしたのですが、


で、ボクはボクとて、技術的中途半端さが否めない中で、この手のSAX吹いていたことあるのですが、


今時、こういう「音」に耳を傾ける人、いないのだろう。いなくなっちゃいましたよね。


と、つくづく思う。


音楽にしても、小説にしても、映画にしても、
楽しいものを、聴きたい、読みたい、観たいという需要の高まりに、供給が応えるばかり。


辛さや、悲しさや、苦しさや、心の痛みや、救いのなさ、


のようなものに直に触れることで、或いは擬似的体験を重ねることで、
ボクはオトナになりました。


どうにも、


世の中の、多くの人が、幼稚になったような気がしてなりません。


人は、生きとし生けるものは、みなすべて、終わりが訪れます。
死後の世界がない以上、輪廻転生がない以上、エンディングはハッピーではあり得ません。


そのことに目を背けて生きるのは、嘘です。偽りです。欺瞞です。
真実から目を背けるのは、幼稚なコドモがやることです。


見たくないものから目を背け、聞きたくないものから耳を塞ぐ人が多くなってしまったように思えてなりません。
オトナが少なくなってしまったような気がしてなりません。


幼稚なアタマは、幼稚なコトバしか解せなくなります。


軽薄短小というコトバを見かけなく、耳にしなくなったのは、
それがもう、当たり前になったからなのかも知れません。


阿部薫のアルトが鳴り響いている部屋で、


そんなことを思った夜……。