そしてメディアに不信感

自身がそこそこ詳しい事どもについて、


ボクの場合だと、


あるジャンルの「音楽」であるとか、
ある時代の、ある監督の「映画」であるとか、
アートとしての「写真」の歴史と、写真の登場以降の「美術」の流れであるとか、
ある時代までの、この国の「競馬」であるとか、
明治時代以降のこの国の「文学」であるとか、


なのですけれど、


そういうことどもについて記述されている、新聞記事を読んでいて、


完全に事実誤認ですね。大間違い。ということに気づくことしばしばありますから、


新聞というメディアを100%信じてはいないのですけれど、


「民主主義」の社会にあって、日々、その制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する立場にあるところの、
国家権力がその権力を濫用することを監視し、その業績を点検する役割を担っているところのメディアなるものに対して、


「私の主張は読売新聞に書いてるからお読みください」と真顔で言う、
「私が詳細を話しているから妻を証人喚問する必要はない」と宣う首相には、呆れ返るのを通り越して、
この人は漢字が読めないだけではなく、真性の「馬鹿」なのだなと思わざるを得ないのですけれど、


そんな人が更迭されるどころか、ますます増長暴走していくのを押し止めようというムードが国内で一向に高まる気配がないことが、そら恐ろしいのですが、


「私の主張がすべて書いてある」と言われて喜んでいる風情の読売新聞も読売新聞で、
産経新聞は、「なぜ、首相は産経新聞に書いてある」と言ってくれなかったのか、残念がっているような気がしないでもないわけで、


メディアの死は、「民主主義」の死に直結します。状況はどんどん悪い方向へ流れています。
それも、ここに来て、加速度的に……。


閑話休題


そんな、大きなことではない話ではありますが、


ウチが購読している、首相の主張は書かれていないらしい朝日新聞の、少し前の記事に、


「今年はタケノコが全国的に不作である。地域によって不作が周期的に起こることはあるけれど、今年は全国的にどの地域を見ても不作です。原因は特定できないけれど、恐らくは……」
などようの記載があって、


それを読んで、ボクなどは普通に、「あーそーなのね」と思っていたのですが、


昨夜、相方がその「タケノコ」をアテにビールを飲んでいたり致すので、
「タケノコ、今年は高騰してるんちゃうん?新聞に不作って書いてあったやん」と申しますと、


「あれ、嘘やし。実家の知り合いのところとか、普通に、というか毎年以上に取れてるから、普通に回って来てたし。
 例年と変わらず、取れてるところは取れてるみたいよ。最近の新聞記者、ちゃんと裏取らんと記事書いてるんちゃう?」と申しますので、


「今年はタケノコ不作」の記事は、事実無根なのでありましょう。今後、訂正記事が載るとは思えませんですが……。


権利権力の御用利きに成り下がった新聞ではなく、権利権力が目の敵にしている新聞であっても、この有様。


ガセというの、「タケノコ」の話にしたところで罪作り。
昨今、もっと大事なところ、デカイ話で、新聞というヤツ、ガセを垂れ流しているんだろうな。


と、思わざるを得ないというお話。


「民主主義の死」、見たくはないのですけれど……。