ノー・カタルシス
世間の、ぎょーさんのみなさまが、
放送を先に終えた、或いは、今まさに終えようとしている、
真田丸ロス、逃げ恥ロスに沸き立っている中、
テレビ番組を見なくなったアタクシは、
今宵も映画。
ビートたけしになぞらえて語る方もおいでなのですが、
たけし氏の映画は、「ま……、ね……」なアタクシですが、
コーエン兄弟の映画、
「お〜!」というのもありますれば、「ん〜……」というのもあるのでありますが、
今さらながら、今宵、観たのは、
今まで、ごちゃまんと映画観てきたアタクシですが、
過去最高に、或いは、過去最低に(爆)、
息詰まる映画でございまして、息苦しい映画でございまして、
息苦しいから酸素をくださいと言いたいけれど、酸素ボンベで人殺しを致す輩が跋扈するお話でございまして、
「公序良俗」などようのコトバは、無きが如くなのですけれど、
だから、観なきゃ良かったのかというと、
一度は観た方がいいかも?
という映画でございました。
後味の悪い、救いのない映画、キライじゃないアタクシですが、
ここまで、カタルシスというものが、なーんもない。
まったくない。
ぜんぜんない。
という映画は、未だかつて観たことがないのでございました。
で、アタクシには、実感としてわからないので、アタマで理解することしかできないのですけれど、
それでは理解したことにならないのかも知れないのですけれど、
アメリカの抱えている病理というものの根底に、
「ベトナム戦争」が横たわっているということを、
ずっしり、ずーんと、感じたのでありました。
ま、観てない人にはわかんないだろーけどね。
観ても、わかんない人にはわかんないんだろーけどね。
かといって、アタクシがわかったかと言えば、
わかってないかも知れないんですけどね。
ま、そんな感じ。
そんな、「ノー・カントリー」を観た者としての感想を、ひと言で言うならば、
善人であろうが、どうしようもないクソ野郎であろうが、
いつか死ぬことに変わりはない、ここから消えていくことに変わりはないのだ。
ということ。
どんな風に死んでいくかいうことについては、
大きな違いがあるのでしょうけれど、
みんな、死んでいくことに変わりはないということ。
どんな風に生きるのか、死んでいくのか、
それは、己が選ぶしかないんですよね。
選ぶことができれば幸いで、選ぶことすら許されないかも知れないんですよね。
うくく。