暴力という装置

映画や小説には、


様々な形の「暴力」が描かれる。


現実世界でも、


メディアは、


様々な形の「暴力」の有り様を伝えて止まない。


のだけれど、


自身の生活においては、


「暴力」などいうものは、


ほんの「欠片」であっても、


見たくもないし、関わりたくもない。


のだけれど、


「暴力」というのは、


「家庭」に、「学校」に、「組織」に、「国家」に、


潜んでいる。


「仕事」によって、「職場」によって、


関わらねばならない「相手」によって、


「暴力」と対峙しなきゃならないことがある。


ニンゲンという生き物、「暴力」によって、歴史を動かしてきたのだけれど、


「暴力」によって、「幸福」や「平和」が手に入るはずがないということ、


容認される「暴力」など、どこにもないこと、


いつになったらわかるんだろ。 な。