良心としての国語教科書

副教材関係関連出版社の営業の方々、見本を携えて、引きも切らずやって来られるのですけれど、


以前も書いたことありますが、


営業の方にも、「持っている」人と、「持っていない」人がおいででして、


「持っていない」人は、こちらが特に忙しくしているその最中に限ってやって来る。


そして、こちらの忙しい手が一瞬止まったそれを目がけて、「すみません」のひと言もなく、遠慮会釈なく話しかけ始める。


酷い時は、慌ただしい中、昼飯を今しか食う時がないからかき込んでいるその最中に、話しかけてくる人もいる。


犬が飯食ってる時に手を出したら、飼い主でも噛まれることがあるというのをキミは知らんのか? 教えてやろうか? がるる。(笑)


「あなたのところの出版物は、たとえ中身がよろしくても絶対に採用致しませんから」とこちらに思われているとは気づいていないようである。


ご愁傷様でした。 ちーん。


なのですが、事前に電話を入れてきて、こちらの都合を確かめて、アポを取ってから訪れる方もいらっしゃる。


アタクシごときにご丁寧なことだと頭が下がります。何より、こうされると断れない。時間を作らなければならない。あぼーん


ですが、真に「持っている」人の場合、アポを入れてからやって来るわけでもないのに、うすらぼんやり、うわわわ〜っと、あくびなど致していて、ゆっくりゆったり話を聞ける、応対できる時に現れる。


という魔法をお使いになる方もいらっしゃる。ま、これは、こちらの仕事というものの内実をわかっていればできることなのでしょうが、営業に回る学校、ひとつやふたつじゃあるまいし、なかなかその域に達するのは至難だと思われます。


と、それはもう、商売ですから、いろんな方が訪れるのですけれど、


本日、アタクシ風情にアポを取って、しかも、約束当日にも事前に電話を入れてからやって来られた某教科書出版社の営業の方、


学習指導要領の改訂や、大学入試制度の変更を受けて、これからの高等学校「国語」教科書、どのようにしていくのがよろしいのか、現場の教員の意見を伺いたいというご用事ご用件。


  微に入り細を穿ったような教材解説を欲する声、
  朱書きの入った教授者用の教科書を求める声、
  著作権フリーのビジュアル資料の入ったCD−ROMを求める声、
  簡単に加工使用のできる副教材が作成できるオマケを欲する声、声、声、声……。


そういう現場の教員の声に振り回されながら試行錯誤する出版社。に対して、オイラが「国語」教科書に求めることは、ただひとつ。


質の良い読み物を豊富に収録してくださること。
自由と、権利と、平等と、反戦と、平和と、弱者マイノリティへの眼差しを失わない書き手の作品を収録すること。
「一億総活躍社会」などようの気色の悪いスローガンを掲げる「日本会議」などようのカルト集団の愚かしさに気づくような、切れ味の良い文章を載っけてくださること。


最後の一行については、口にしかけてしませんでしたが、ほのめかしただけでしたが、それに尽きると申しましたら、


担当の営業マン、苦笑しながら、「ですよねぇ……」と、額に浮き上がった季節はずれの汗を拭いながら、


それでも、では例えばどんな書き手のどんな文章が? と、食い下がってから、帰られました。


今の教科書出版社、主として若手の教員をターゲットに、指導マニュアル、発問例集、定期考査における問題例集など、あの手この手のサービス三昧。
時代の流れに載っかっていないオイラみたいな者の話聞いても参考にならないんじゃないかな?


と、思うんだけど、なんでわざわざオレんとこに来るんだろーね。
ひょっとすると、まともな話をストレートにする絶滅危惧種の話を聞いて安心するのかもしれませんですが、 謎……。


あ!


昨今話題になったどこかの出版社さんと違って、一銭も頂いておりませんので、


あしからず。