定検とか更新とか
職場は本日より定期考査、しかも初日の今日は、己が担当している「現代文」のテスト、
なのですが、
先週入れられていた予約は、考査前の授業があって無理ですけん、変更してもらって、眼疾予後の定期健診。
眼圧と視力測って、いつものように瞳孔を散大する目薬さしたあと待機……。
効いてきた頃に、いつもならセンセの診察室へ。のところ、再び検査室に呼ばれて、
眼球の表面と眼底の写真撮影。
カーテンで仕切られた狭く薄暗い空間の中、美人の技師さんとふたり、
「じゃ、思い切り上を向いてください。顎を突き出して、もっと、もっと、上を向いてください。
はい、じゃ、次は右上を…、右を…、右下を…、それとなくの感じでいいですよ……」
などようのこと言われつつ、差し向かいで、目ん玉の奥の奥まで覗かれるという状況に、
ちょいとドキドキしたアタクシ。
この病院の眼科、美人な検査技師さんが何人かいやはるのですけれど、検査の時、オイラはいつも美人さんに当たるのです。
ラッキー。
その後、ざっくばらんなドクターの診察診断。
眼底の状態は安定しているので、特に心配ありません。
むしろ、術後認められた、右の瞳の左下にある傷というか炎症のあとが心配で、ほらここ、白く濁ったようになってますけど、視界に影響する部分じゃないし、濁りが広がっているわけでもないから、ダイジョブでしょう。
と、言われたので、今回で定期的な通院はおしまいかと思いきや、
では、半年後に予約入れますね。それで問題なかったら、近在の眼科でホームドクターさん探しましょうね、と……。
半年先って……、何がどうなっているのか、皆目検討がつきませんですが、ま、取りあえず順調ならいいや。
で、検診終わったのですが、
偶然と言いましょうか、奇遇といいましょうか、なんと言いましょうか、
相方の父君がこの同じ病院で検査を受けるというので母君と共に来院しており、相方も同伴致しており、
造影剤の注射をしてから検査まで待ち時間が長いというので、
合流致して、地下の食堂でランチ。
相方の家族と久々に共にする会食が、病院の食堂というおそまつ。
相方の父、絵を描いて、個展も何度か開いておいでなのですが、このところご無沙汰。
ご本人は、煩悩の数と同じ108まで生きるつもりで、時間はまだまだあると思っておいでだったようなのですが、
「歯が弱り、耳も弱り、今度は体の方も弱ってきたので、考え方を改めました」と、仰る。
「残りの時間、あと5年と思って、描き上げていない絵、描いてしまおうと思います」と、仰る。
そんな、カツ重を、ゴハンは少し残したけれど、カツはすべてたいらげられた父君は、もうすぐ90になられます。も一度、個展ができるといーな。
そして、検査待ちの義父母を残して一足先に病院をあとに致したアタクシ、
瞳孔散大したまんま眩しさにチカチカしながら、警察に立ち寄り、3300円相当の「証紙」なるものを買い求め、
その足で、あるものを揃えて送るため、郵便局へ。
教員免許状の更新というヤツ、
大学で5日間、大半がつまらない講義を、3万円の自腹切って受けさせた後、
毎日、レポート書かせたり、試験行ったりした癖に、そレに対する評価や結果について何らかのフィードバックをするわけでもなく、
大学は、「更新講習履修終了」と書いた紙切れ一枚送ってくるだけ。
そして、「更新講習」の受講を修了したということを、現在教職にある者の場合は、所管の教育委員会へ届け出なければならない。
この際、各自に届け出させることは、まぁ許す。
が、どういう名目かわからんのだが、申請手続きについて書いてある府教委のHPには、何のためのものなのか、一切何の説明もないままに、
証紙を3300円分購入して、申請書に貼付しろと書いてある。なんやねん、この3300円。
申請受理の手続きするための手数料ですかい? 手数料にしては高いんじゃねーですかい? ちゃんと説明せぇや!
と、美人な技師さんの前ではおとなしいが、理不尽を前にするとやんちゃなオレは、怒るのであった。
そもそも、教員免許状なるもの、オレが取得した時は、期間限定などなかったわけで、30年目にして更新しなさいという茶番。
茶番に乗じて、意味の分からない金をふんだくるという噴飯。
なのだが、
教員という人々、オレの知る限り、こんなやり方についていちいち声をあげて怒る者、実は、ほとんどいない。
諦めているのか、おかしいと思っていないのか、更新制度や更新講習に意味があると本気で思っているのか、
3万円や3300円ぐらい大したことないと思っているのか、はたまた何なのか、わからないが、
この件だけでなく、上から一方的に決められたことに対して、素直で従順な人が多い。
教員は各々、年度当初に、今年度の目標を立て、それを達成すべく努力を!目標は、結果が判断しやすい数値目標が望ましい!
とか、
これからの教育はパッシブからアクティブへ。生徒自らが能動的に考える授業へ。アクティブ・ラーニングが教育を変える!
とか、
低学年時より道徳教育を推進。教科科目化して、点数評価を!
などようのことどもに対しても、己のアタマで考えず、疑問に思わず、
疑問に思わぬどころか、それがワタシの生きる道と振る舞う輩も、とりわけ若い世代には多くなっているようで、
なんだか、もう、腹立たしいのを通り越して、情けない……。
そして、瞳孔散大した眼に映る世界は、まだ、ちょっとまぶしい。