究極の奉仕

現場で働いている、心ある者はみな、
この国の教育のあり方が、どうしようもないところまで、ダメダメになっていることを知っている。


それは、文科省が、一部エリートを育て、優遇することには熱心ではあるけれど、その他大勢については、
何も考えなくていーですから、すげ替えのきく労働者として働いてくれればいーですから、
捨て駒になってくれればいーですから、


と、どうやら本気で思っているらしいからに他ならないのですけれど、


こいつはどうもまずいな。と、思い始めたのは、


ボランティア活動の有無をどうこうすると言い出した二十年ほど前。要はバブルがはじけたあたり。
ボランティアとは本来、無償の行為、見返りを求めることなく誰かに何かに奉仕する行為。


であるにもかかわらず、推薦入試を初めとする大学受験において、
ボクはワタシは、これこのようなボランティア活動を致してきました。と、活動歴を自慢げに綴らせ語らせて、それを合否判定の材料にし始めた頃。


そんなことをやっている大学もバカだが、そういうことを推奨してきた国がバカなのであって、
要は、ただ働きの推奨。滅私奉公できるかどうかで人物評価しようというおそまつ。


そしてまた近頃は、学力より人物重視の入試に! などようのこと真面目な顔をして言うているわけですが、
人物なるものの評価をどうやって致すのか? 評価する側の人間はみな、優れた人物なのですか?


馬鹿馬鹿しいにもほどがある。誰が考えても、くだらないことが進められていく進んでいく。


ボランティアというのは、


そのまま見過ごしていたら、事故や病気で早晩消えてしまうであろう小さい命を、
それを助けたからといって、誰かから褒められるでなく、お金になるでもなく、
むしろ、損なわれている健康を取り戻してやるためにかかる結構バカにならない費用は自腹を切っている。


という、そんな行為を言うのではないかと思うのです。


きっと、ウチの相方は、ネコ田大学に、無試験で合格できると思います。


にゃあ……。