記憶を風化させないために

十月に入ったというのに30度超え。
もはやこの国は亜熱帯を超えて熱帯なのではないか、本州でもパイナップルがガンガン作れちゃうんじゃないかという勢い。


の中、汗かきながら考査前、授業で遠藤周作の書いたコルベ神父についてのエッセイを読む。
あのアウシュビッツで餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなった男。


読むにあたって、
観たことのある者、誰ひとりとしていないであろう、アラン・レネの『夜と霧』を見せた。


南京大虐殺が捏造であると唱える者がいるのと同様、
アウシュビッツユダヤの捏造であるとしてはばからない者がこの世にはいる。


戦後68年、戦争の記憶は遠いものとなり、
「正しい戦争など、かつてどこかにあったことはないし、今後もあることはない」という主張も色褪せてきている。


70数年前に実際にあったことを見、話を読んでも、
自分とは関係のない遠い時代、遠い世界の話だと思っているのか、何の関心も感慨もなく、ただ眠いだけの者もいる。


縁なき衆生は度し難い。


のだが、そんな縁なき衆生も、時代の波によっては、
凄惨をきわめる地獄のような場所で、殺す側、殺される側に回ることになる。
誰かを売る側、誰かに売られる側に回ることになる。


戦後教育は、「それでも軍隊はいるでしょ?」という者を増やすためにあったわけではなかったはずなのだけれど……、


元々持たない者が増えた戦争の記憶を風化させぬよう、「本当の戦争の話」を見よう、読もう、聞こう。と、思う。


ルイ・マルさよなら子供たち』をもう一度観たくなった。


見知らぬ誰かの身代わりに己の命を捧げることまではできなくとも、
己の保身のために、誰かを売ったり、見て見ぬ振りのできる人間にだけはなりたくない、ならない。


と、自身の生き方、立ち居振る舞い方を、検証させられるから。


未見の方は是非。