ナイト・オブ・ザ・リビングデッド
この世では来る日も来る日も、
いろんな命が生まれ、いろんな命が終わりを迎えている。
オイラは、
生きていた頃の、平間ヨシノリという男のことは知らない。
ツータンと呼ばれた男のことも知らない。
でも、
平間ヨシノリという男や、ツータンと呼ばれた男と一緒に、
バンドというヤツで音を出していた者どものことは知っている。
でもって、
そやつらは、今も、バンドというヤツで、ライブハウスというところで、音を出している。
今宵は、この世にもういない、平間ヨシノリという男を悼む会。すでにして8回目。
親子ほど歳は離れているけれど、
こいつがいなかったら、オイラがライブハウスでギター弾いたり歌ったりすることはなかったかもねという男が、
平間ヨシノリという男がベースを弾いていたというバンドで、今、ギターを弾いている。
バンド始めてから知り合ったおねえちゃんが、その同じバンドでベースを弾いている。
という不可思議。
モンスターロシモフのアサクラ大魔神が、自身のブログに書いてたけれど、
人は死んでも魂になんかならない。幽霊にもならない。
かといって、人は死んでも無にはならない。
誰かが、誰かのことを想って、ブログ書いたり、歌唄ったり、ギター弾いたり、酒飲んだり、仕事したり、笑ったり、惚れたり、泣いたり、とにかくその人の事を想ってる瞬間は、その人は生きている。
今宵"CLUB WATER"で、平間ヨシノリという男は、生きていた。
彼のことを、今も想うヤツらがいるから。
などようのこと思いながら、その一方で、
生きていてこれここにいるヤツでも、
誰ひとり大事に思わないなら、死んでるもおんなじなんだよね。だよな。などようのことも思った。
生きるというのは面倒くさい。
でも、誰かひとりでも大事に思ってくれる者がいるのなら、
いや、たとえ、誰ひとりいなかったとしても、そんな自分のことを自分自身が大事だと思うなら、
生きてる意味はあるんじゃないかな?
だから、
うまい具合に世の中とやって行くことができなくても、
誰かのサイズに合わせて自分を変えることができなくても、
生まれたからには、死ぬまで生きてやる(笑)