帰阪、そして日常へ

最終日


石垣島から那覇へ。飛びますっ飛びますっ!と、飛ぶ。
飛行機は何度乗っても慣れぬ。あんな鉄の塊が仰山の人や荷物を載せて空を飛ぶのは、おかしい。
実は、タクシーに乗るのも苦手なアタクシ、乗れと言われりゃ乗りますが、人に命を預けているというのは余り良い気分のものではない。


西表より石垣、石垣より那覇市内の方が暑い。気のせいではなく天候のせいでもなく、確実に暑い。
きっと、大地がアスファルトとコンクリートに覆われている比率が高いからだと思われる。照り返しが強く、風が抜けない。
これは自然の暑さではなく、人工的に増幅された暑さ。大阪が暑い理由をここに来て納得させられる。


夕刻、大阪に飛ぶまでの間、那覇市内で自由行動。
ボーっとしてても仕方がないので、「ゆうレール」ちゅ名のモノレールに乗って、「首里城」へ。
途中、「沖縄県立芸術大学」ちゅ大学の横を通った。国公立の芸大って、「東京芸術大学」と「京都市立芸術大学」と「金沢美術工芸大学」と「愛知県立芸術大学」の、よっつだけだと思い込んでいたから意外だった。いーじゃんココ、と思った。



王家の居城であって戦いのための城ではないと聞いてはいたが、「武器」とか「武具」の展示は一切ない。



そして、ここは日本ではない。中国である。ヤン・イーモウの『HERO』を思い出した。



王の座すゴテゴテした椅子。そこに座りたいとは露ほども思いませず、よって、王様になりたいとは露ほども思いませず。
なれないけど(爆)


再びモノレールで取って返して、「牧志駅」で下車、「国際通り」をぶらぶら。
若い観光客相手の土産物屋が建ち並ぶ。生徒らは、土産物を買い漁る。



が、アタクシ的にはこの「通り」、子供だましのモンキービジネス、地に足のついていない感じの繁華街。
見たいモノ見るべきモノはほとんどなく、小さくて客の少ない「そば屋」に入って、質素に「沖縄ソバ」を食し、テキトーに入った酒屋で泡盛を一本購入。



そして、那覇空港に戻り、関空へ飛んで、旅はおしまい。


生徒らが、浮世俗世を離れて楽しむための「修学旅行」
これでいーのだ、と思う一方、団体で行くからには制約制限たくさんあること承知の上で言うと、


個人旅行で3泊4日するならば、こういう旅はしませんよなというのが正直な感想。


受け入れる相手さんも、仕事商売なのだから、これでいーんだろうけれど、ありがたいのだろうけれど、


人の手があまり入っていない人口推定五千の南の島に、ン百人が分け入り押し寄せ、
そんな南の島の野趣というものを全く感じさせない近代的な佇まいの大ホテルで、大都会でもこれ以上ないと思われるバイキング食べ漁り、本島では、島の歴史や痛みとは関係のないところで、土産物買い漁る。


この節、修学旅行で「平和学習」などいうのは、押しつけがましさもあって敬遠されるのだろう。
が、単なるレジャー・レクリエーションのためだけに、わざわざここまでという感じは拭えない。


今回の旅先で、そこに暮らす人たちに聞いた話、
オイラが話を聞いた人たちはすべて、元々は本土にいた人たちなのだが、
ダイビングに、釣りに、心惹かれてそのまんま、南へ南へと流れて、そこに至った人たちなのだが、


彼彼女らの話が、イチバン面白かった。思うところが多かった。
生活者としてそこに暮らすことと、旅行者としてそこに赴くことの違いを思った。


生活者としてそこで暮らす可能性、オイラにもあった筈なのだが、なぜだかオレは都会を離れず生きている。
人としての違いを思った。たぶん、オレにはその資格や資質がなかったんだろうなと思った。


そして、


観光地としての西表には、シーズン・オフはありません。
けれど、強いて言うなら、今のこの時期が天候も不安定で、見るものも少なく、最も客足が遠のく時です。
修学旅行の生徒さんたちが来るようになって、ちょっと賑わっていますけど、お天気が良くてよかったですね。
この時期、こんなに良い天気が続くのは珍しいですよ。と、彼彼女らが口を揃えて言うのが可笑しかった。


我々は、オフシーズンの「埋めくさ」として地域に貢献したわけだった。


自分たちが憧れ、そこに骨を埋めようと思ったその土地を、観光を主たる生計の手段として切り売りして行くこと。
そこで生きている人たちは自分の中で、そんなバランスをどんな風に取りながら生きているんだろうな。と、思った。


そして、そんな土地に出向いた我々、


いつ、どのタイミングで、どの服を身につけるのかにアタマを悩ませたティーンズたち。
いつもは制服姿しか知らない、彼彼女らの身に纏っているもの眺めながら、


コイツはたぶんこんな出で立ち、この子はきっとこんなファッション。
と、こちらが想像していた、ほとんどその通りそのまんまの衣服に身を包んでいたのが面白かった。


オイラの見る目は節穴ではない。と、思った(笑)。


オレは、向こうにいる間、ずーっと、素足にTシャツ短パン。
履き物は行きも帰りも現地でも黒のクロックスただ一足。自宅にいる時とおんなじだった(笑)。
三日目に至っては、短パンの下に水泳パンツ履いていたので、パンツが一枚余った(笑)。


帰り際、「センセ、その格好、行きとおんなじやん!」と、言った生徒がおりましたが、


行きのカーゴパンツはモスグリーンで、帰りのカーゴは黒、
行きのTシャツは黒のCBGBでしたが、帰りのTシャツはグレーのストーンズだったのだよ。


おんなじじゃないんだな、これが。ぐふふ。