愛されてばかりいると

何とか、体温も安定してきたので、


職場に復帰。授業復活。


したら、オイラの顔を見るなり、


「なんや〜、自習やと思ったのに来てるや〜ん」という声の数々。


わかっちゃいますが、想像の及ぶ範囲内の出来事ですが、別に過大な期待も寄せていませんが、
やっぱりそうなのな。というガッカリ感は、それなりにある。


仕事における、オイラの替わりはどこかにいる。必ずいる。
でも、この仕事やっているからには、オイラに替われるヤツなど、そうはいませんぜ。
と、思っているからこそオイラはこの仕事をやっている。その矜持がないならば、とっくの昔に辞めている。


でも、仕事中のオイラと対峙しているティーンズのほとんどは、
それその時に、コイツでなければやっていないできないことをやっているかも?言っているかも?
などとは思わず、いつものルーティンと、テキトーにやり過ごしているし、


オイラの方はオイラの方で、テキストを通して、何をどう考えるか考えないといけないのか?を、伝えようとしながら、
手探りの中、結果、拙かったね今日の授業は、と、思うこと未だに結構あったりする。


で、そこにいるはずの者がいないという現実を、人がどう受け止めるのかということに際して実感するのは、


自身のことを、自分が思っているように理解し受け止めてくれている他者などほとんどいないし、
自分のことを大切に思ってくれている人間など、実のところ、ほんの数えるほどしかいないのだ。
ひょっとすると、誰ひとりいないかも知れない。


と、いうこと。


そんな、当たり前のそのことを、人は受け止めて生きていくべきですよね、ですよ。と、いうこと。


愛されたいとか、大切に思われたいとか、
人であるならば、そういう気持ちなしに生きてはいられないけれど、


じゃあ、そういうオマエは、誰をどれだけ愛し、大切に思っているのですか?
と、問い直すことの方が、大事なんじゃないかな? と、いうこと。


最悪、


愛されなくても仕方ないけれど、誰かを、何かを、愛する人ではあり続けたい。


ね。