論語読まずの論語知らず
別に恥ずかしいことでもないし、隠しているわけでもないのだけれど、
オイラは50である。あー恥ずかしい(爆)
「人生50年、あとはオマケ」と言ったのは、五木寛之だったように思うのだが、
50歳という自分の年齢を、オイラは時に受け入れられないでいる。
50ともなると、恐いものなど何もないっちゃないのだが、
今までにこれといった何ごともして来なかったことに忸怩たる思いがないではない。
とにかく、産を破り(破ってませんが)心を狂わせてまで(狂ってませんが)自分が生涯それに執着したところのものを(執着してませんが)、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ(そんな欲もございませんが(笑))。
若い人は知らないでしょうが、
黒澤映画の常連であった正統派の役者、木村功氏が、
50を過ぎる頃から、自身の老いに納得できず、老いに抗おうをしていた姿を見て、
若き日のオイラは、
時の流れのままに生きればいいじゃん。と、思っていたのだが、
今、自身が、当時の彼の年齢になって、
その時の彼のキモチが、とてもよくわかったりするのであります。
受け入れるしかない時の流れに……、
くたばるまで逆らって生きてやるけんねー!
58でくたばった木村功氏よりも、逆らい続けて生きてやるけんねー!
と、思う今日この頃、
オイラはくたばるまで、青臭いニンゲンであり続けようと思っておりまふ。
抗う者こそ青年、逆らう者こそ青年(笑)。
三十にして立ちもせず、四十にしても惑いっぱなしだったオイラは、
五十にしても天命など知らず、六十になっても耳順いませんし、
七十にしても心の欲するところに従って、矩を踰え(こえ)まくってやりますけん〜!
百まで生きるのっ!(笑)