ボクの通ってきたもの
Facebookのニュースフィード眺めていたら、
前任校でご一緒していた先輩教員が、つげ義春の新刊文庫本が出ていましたとの書き込みがあって、
つげさんがまだ健在で嬉しいな、などようのこと書いておられて、
この方は、今まで一緒に仕事をさせてもらった人の中で、数少ない、信頼できる同僚のひとりだったのですけれど、
ボクはこの人よりも十以上年下だが、おなじようなもの見聞きしてきていたり、同じような道通ってきていたりするのがわかることしばしばあって、何だか嬉しくなる。
と、同時に、
ボクよりも年若い同僚に、ボクたちが見聞きしてきたものを、知っていたり通ってきたりしている者がほとんどいないということを残念に思うこともまた多い。
要は、話が通じない。
取りあえず、「スラムダンク」と「ワンピース」を知っていればいいのかしらん?あとは、「ジョジョ」とか?
勉強に忙しくて、サブカルに対してアンテナ張る暇がなかったのかしらん?と、思ったりする。
寧ろ、若くても、バンドマン仲間の方が、その手の話は通じることが多い。
勿論、ボクの知らない世界ってのも仰山あるわけで、偉そうなことは言えた義理ではないのだけれど、
数学や理科ならいざ知らず、国語や社会や英語や芸術科目の授業していながら語っていながら、あぁそれも知らんのか知らんのね。というのはどうなのかと思うのです。実際のトコロ……、
ボクはこんなものを通ってきました。(特に好んだもの限定)
【文学】
近松、漱石、啄木、谷崎、放哉、山頭火、横光、梶井、多喜二、太宰、中也、安吾、三島、公房、吉行、大江、筒井、龍、春樹、源一郎……
【漫画】
手塚治虫、赤塚不二夫、石森章太郎、水木しげる、白土三平、つげ義春、永島慎二、林静一、滝田ゆう、永井豪、杉浦日向子、松本大洋……
【洋画】(80年代初頭まで限定)
カリガリ博士、キッド、戦艦ポチョムキン、黄金狂時代、アンダルシアの犬、巴里の屋根の下、街の灯、三文オペラ、グランド・ホテル、キング・コング、若草物語、或る夜の出来事、モダン・タイムス、望郷、大いなる幻影、オズの魔法使、スミス都へ行く、風と共に去りぬ、レベッカ、独裁者、市民ケーン、わが谷は緑なりき、カサブランカ、天井桟敷の人々、荒野の決闘、殺人狂時代、肉体の悪魔、第三の男、自転車泥棒、陽の当たる場所、欲望という名の電車、禁じられた遊び、真昼の決闘、ライムライト、シェーン、恐怖の報酬、嘆きのテレーズ、ローマの休日、現金に手を出すな、道、波止場、裏窓、夜と霧、エデンの東、暴力教室、七年目の浮気、理由なき反抗、十二人の怒れる男、地下水道、鉄道員、カビリアの夜、OK牧場の決闘、死刑台のエレベーター、手錠のままの脱獄、灰とダイヤモンド、大人は判ってくれない、お熱いのがお好き、二十四時間の情事、太陽がいっぱい、アパートの鍵貸します、勝手にしやがれ、サイコ、若者のすべて、突然炎のごとく、長距離ランナーの孤独、81/2、博士の異常な愛情、サウンド・オブ・ミュージック、反撥、気狂いピエロ、ミクロの決死圏、男と女、昼顔、夜の大捜査線、2001年宇宙の旅、俺たちに明日はない、猿の惑星、真夜中のカウボーイ、ワイルド・バンチ、イージー・ライダー、明日に向かって撃て!、地獄に堕ちた勇者ども、ベニスに死す、時計仕掛けのオレンジ、ダーティーハリー、ジョニーは戦場へ行った、惑星ソラリス、ゴッドファーザー、ラストタンゴ・イン・パリ、アメリカン・グラフィティ、スティング、ハリーとトント、家族の肖像、カッコーの巣の上で、タクシードライバー、アニー・ホール、大理石の男、ディア・ハンター、秋のソナタ、地獄の黙示録、ブリキの太鼓、ストーカー、普通の人々、炎のランナー、E・T、ストレンジャー・ザン・パラダイス……
【邦画】(80年代初頭まで限定)
浪人街、姿三四郎、無法松の一生、酔いどれ天使、晩春、野良犬、羅生門、めし、生きる、真空地帯、雨月物語、東京物語、七人の侍、ゴジラ、近松物語、浮雲、夫婦善哉、狂った果実、蜘蛛巣城、幕末太陽伝、彼岸花、東海道四谷怪談、青春残酷物語、悪い奴ほどよく眠る、おとうと、豚と軍艦、用心棒、座頭市物語、切腹、秋刀魚の味、天国と地獄、砂の女、赤い殺意、飢餓海峡、怪談、赤ひげ、白い巨塔、けんかえれじい、肉弾、神々の深き欲望、心中天網島、儀式、八月の濡れた砂、実録 阿部定、愛のコリーダ、青春の殺人者、人妻集団暴行致死事件、曽根崎心中、赫い髪の女、復讐するは我にあり、十九歳の地図、太陽を盗んだ男、ツィゴイネルワイゼン、陽炎座、遠雷、泥の河、家族ゲーム、TATTOあり、さらば愛しき大地……
挙げていきながら思ったのは、今、これらの作品、読もう観ようと思えば、すぐに読むこと観ることできるよな、と、いうこと。
なのだけど、能動的に動かない限り、これらに手を伸ばすことは致しませんよね。と、いうこと。
ボクは、ここに挙げた映画のほとんどをテレビで観た。録画機器などなかった頃、リアルな放送時間にテレビの前に座って観た。
その時見逃すと、次に放送されるのがいつになるかわからないので、見逃すまいとテレビに齧り付いていた。
テレビは「サブカルの窓」として機能していた。
今、ボクはテレビをほとんど観ない。消費したあとは使い捨てるだけのゴミのような番組ばかりだから。
本当に観たいものは、探せば手に入るし観ることができると思うから。
情報は溢れていても、待っているだけで自分から手を伸ばさぬ限り、「サブカルの窓」は開いてはくれない。
どんなものを観、どんなものを聴いて来たかによって、どんなニンゲンになるかが決まる。
ガッコウじゃ教えてくれないこと。たくさんあるけれど、ちょっとはガッコでも教えたいなと思っております。
海外文学関係、音楽関係、美術関係も辿ろうかと思ったけれど、キリがなくなりそうなのでこのへんで、
ば〜い。さんきゅ。