競争原理
生きづらいとか、世の中の流れに乗れないとか、社会に適合できないとか、
そういう事ども、人々を、話に聞くだけでなく、日々、目の当たりにしている。
かくいうオレにしたところで、
昨今の世論世相風潮の中、生きづらいと感じているし、世の中の流れには乗りたくもないし、くだらん「社会」に何を好きこのんで適合せにゃならんのか、
と、思ってはいるけれど、
それは知性や理性や論理といった部分で、そういう生き方を自らで選んでいるということ。
なのだけれど、
知性や理性や論理などというものから遠く離れたところで、
対人関係の取り結び方や社会性というモノを、欠落したままさせたまま生きている人々は、驚くほど多い。
他者という存在に配慮することができない。主観という視点しかなく、客観という概念を持たない持てない。主観といっても、それ自体が曖昧で、極端に言えば、「快」と「不快」、「得」と「損」、「好」と「悪」だけで行動する。
多くの場合、生育環境に問題が見られる。生得的な障害や病理がその因と思われる場合も少なくない。
十代も半ばを過ぎたそんな人々に、何ができるのか?
できることが全くないではない。
でも、できないことは途方もなく多い。
「学校にも競争が必要」という。すべてを否定する気はない。
それが必要だと思う場所では、言われなくても、死にもの狂いで「競争」は行われている。
でも、
競争しているそのコースに乗ることのできない人々、何をどうして生きていけばいいのかを見つけることが困難な人々に、
何を競争させるというのか、
誰でも良いから、オレに教えてくれないか?