インテリが作っているらしい

原発事故以降、


大手メディアというものも、所詮は利益利潤を追求する集団なのであって、肝心なことになると腰抜けのへなちょこ、損得勘定した上でしかモノを言わない言えないということがハッキリしてしまった。


そんな中、テレビは地デジ化したようだが、我が家のアンテナは「デジアナ変換」なるものが施されておるので、アナログテレビがまだ映っている。


けれど、ニュースと競馬中継の他はほとんど見ない。最近ますます見ない。


なぜかというと、それは「面白くないから」。面白かったら見ますって。


下品なタレントや頭の悪い芸能人がくっちゃべってんの見ていても面白くない。
と言いながら、とんねるずの"食わず嫌い王決定戦"とかはたまに見てるが、言うほど面白いわけでもない。ドラマもぜんぜん見ないわけではないにせよ、当たりは十に一つあるかないか。


ガキの頃はなぁんにもわかってなかったからか、それとも番組そのものの質やレベルが高かったのか、双方当たっているんだろうけれど、テレビは面白かった。


『野性の王国』とか、『すばらしい世界旅行』とか、それに続く『知られざる世界』とか……。ま、『万国びっくりショー』は、今思うと下品だったが……。
日曜洋画劇場』、『水曜ロードショー』、『ゴールデン洋画劇場』、『土曜映画劇場』、60〜70年代の洋画の大半はほとんどテレビで見尽くした。
地上波の映画放送、最近はハリウッドの大作かジブリだけ。深夜枠からも映画番組は姿を消しつつある。


テレビは見ないが新聞は読むオレ。ですが、世間ではどーやら、テレビは見るが新聞は読まない人の方が多いらしい。


別に、新聞を読めと言うつもりもない。
新聞にしたところで、昔から酷い記事や文章載っけてるトコロもあるし、昨今は選んで購読している新聞にしたところで、スポーツ紙化・大衆紙化が進んでいる。「おっ!」と思う記事やコラムは週に一度あるかどうか。大衆のニーズに合わせていると言えばそれまでなのだがお寒い限り。


高校の頃、「国語」と「生物」の時間以外はほとんど授業に追随せず、寝ることはなかったが、小説読んでるか、妄想に耽っているか、消しゴムのカス丸めて机に空けた穴目がけて転がして遊んでいた愚かなオレだが、


現代社会」の教師が新聞について話したことを、なぜだかハッキリ覚えている。


海外に行った先々の、宿やホテルのトイレに置いてあるトイレットペーパーを、その国の文化と文明到達度の尺度であると蒐集していた男。癌でいきなりこの世を去った男。カトリックだったから、教会での葬儀というやつに初めて列席した。そんな教師が言ったこと、


読売新聞は、警察とのパイプが太いから社会面、いわゆる三面記事が充実している。
毎日新聞は、仏教系を軸に宗教関係・団体の内情に通じているから、思想・宗教関連に強い。
朝日新聞は、文芸関連関係について自負がある。他社に影を踏ませない。
産経新聞は……、購読料が安い(当時)。あと、テレビ欄が見やすい(笑)


今にして振り返っても、彼の解説分類は要を得ていたなと思う。


金が余ってるなら全紙購読するかも知れんが、そーもいかないオレは、一紙だけを購読している。


2紙については、たとえ地デジ対応大画面液晶テレビをオマケにくれたとしても未来永劫購読することはないと思われるが、勧誘に来るのは決まってその2紙。勧誘しに来る販売員自らが「新聞なんてどこでもおんなじですやん。3ヶ月でいいからとってくれませんかぁ?」など言うから呆れる。


で、芸能関連に強くてテレビ欄が見やすい産経新聞(笑)、


「インテリが作ってヤ○ザが売る」と言われる新聞だが、もはや、作っている側の人品も相当に卑しくなっている。


職場に転がってるのやネットニュースで読むことあって、


政治部の阿比留瑠比についてはその噂はかねがね……、
だったが、社会部の安藤慶太という男、驚くほどひどいコラムを書いている。
こういう人の署名記事を堂々と載せてる新聞って何なのだろか?


体力に自信はないけれど、理性と知性と文章力なら、確実にオレの方が上だと思われる。人間としても、オレの方が公平公正でマトモであると思われる。


ま、興味のある方はこいつを一読あられかし。


突っ込みどころ満載。「我田引水」とは、こういう文章論調のことをいう。
そして何よりも、品性が下劣極まりない。
この国の人間が誇りを持つということは、この人にとってはどうやら、世界の富を獲得すること、そのことで他国に対して優越感を持つことであるらしく、その目標目的のために、地を這い血を流す人がいてもそれはそれ、そんなことは知ったこっちゃないようである。


くだらないコラム書いてねぇで、オマエが地を這え、血を流せと言っておこう。


でも、


「新聞なんて何でもおんなじ」とオマケとサービスに釣られて購読し、こういう記事やコラムを読んで、「ふむふむ」とか「そーだそーだ」と納得したりさせられたりしているニンゲンが少なからず(というより過半数?)周囲に存在しているということが、


悲しい。