不寛容な世界

ノルウェーで、ひとりが百人を殺した。


犯行を認めた容疑者は「残虐だが必要だと思った」と話した。


イスラム主義で移民政策に反対。多様性より単一性、欧州のアラブ化は悪夢だと言う男。


歴史のページを繰れば、人間というのは過去から現在までずーっとそうだったのだろうが、


第2次大戦後、ナチズムへの反省もあって、世界的に「排他的思想」というのはここしばらくは沈静化していたように思う。


のだが、


21世紀に入って、世界は、人は、また「不寛容」に向かって突き進んでいるように見える。


この国にあっても然り、


ほんの身近でささいなことから、子供らの通う学校という場所から、企業組織から、政治の世界まで、


「ま、えーやん」という余裕が失われて行っていることを身をもって感じる。


己の気に入らぬものは容赦なく叩く。排除しようとする。利害が絡むとヒステリックに喚く。多くの場合、排除のために群れをなす。群れの大きなモノが強者となり、力を手にし、個は抹殺される。


ノルウェーの場合、


強者である政府の方が「寛容」で、殺戮者の方が「不寛容」だった。


が、


本当に恐ろしいのは、


群れをなした「権力」が「不寛容」になり、その「権力」をほしいまま「不寛容」に向けて発動する時。


オレは頑固で、好き嫌いもハッキリしているけれど、個人的に認めないものもたくさんあるけれど、


オレが「嫌い」なものは、「権力」と「権力に媚びる者」、「金に媚びる者」、「俗を粋だと思っている者」。


要は、特定の個人集団の利益のために動く「不寛容」な者ども、ことども。


世の中をダメにするそういう者どもこそ排除されて欲しいのだけれど、


くだらないことを「命令」したり「強制」しようとする「不寛容」な連中と、真っ当なやり方で闘っては来たけれど、


近頃は、「不寛容」があからさまに支持されている。


愚かな歴史が繰り返されるのは、そう遠くないことかも知れない。