愛と雄三

ミッシェルの"スモーキン・ビリー"聞いて、


チバが「愛という憎悪 Yeah〜!」と歌っているのだと即座に理解した人は偉いな。と、今でも思うのだが、


アートというものはすべからく、


文学であれ、音楽であれ、絵画であれ、彫刻であれ、映画であれ、


「生と死」、そして、「愛と憎」をメタファーするもんだと思っております。


リアルなところで「人の生き死に」を、かくまでドーンと突きつけられる出来事があると、メタファーは所詮リアルにはかなわんよーな気もするのだけれど、


いずれにせよ、人というのは、


「愛と憎」の中であーだこーだしながら、その時間が短いにせよ長いにせよ、いずれはその与えられた「生」を生きて「死」に至るわけで、それはいつ何時もリアルなことなのであって、


今、ここで、己の「生」が不確定な何らかの力によっていきなり奪い去られるとして、それその時に、それまでの己の「生」に意味があったと思えるか、恥ずかしくない「生」であったと思えるか、楽しかったよありがとうと思えるか、


どーなんだよオマエ?


と、普段から思ってること改めて自問するここ数日なのだが、


たとえ、100年生き長らえたとしても、


「もー十分、お腹いっぱい、満足じゃ」


とは思わないだろう自分もまたそこにいて、それはオレだけじゃなく、ほとんどすべての人間がそうなのだろうと思うから、


一瞬にして人の命を奪い去る自然の脅威というヤツ、禍々しく恐ろしい。


だから、


やりたくないことやってる暇はねぇ。


とか何とか言ってるけど、本当にやりたいことって何なのよ?


と言われると、その答えを見つけるのもまた、難しい。


そんなこと考えなくても、生きてるだけで楽しいニョ。

と、ニャンコは思っているようで、


つくづく、ニンゲンってヤーね。