第9地区
DVDが届いた。そして観た。
悲しくなった。悲しいけれど、いい映画だった。
くだらなくないヤツもいるにせよ、基本くだらねーんだよなニンゲンってのは……、と思った。
生きるのに必要なのは「想像力」。このくだらない社会をくだるようにするのは「想像力」。
オレは国語教師なんてのやってるが、伝えたいことはただひとつ。
「想像力」ってのを持とうぜってこと。
なのだが、
オレの仕事の甲斐もなく、「ヒトの痛み」ということをわからないヤツが多すぎる。
「当事者意識」というコトバがある。優れたコトバだと思う。
常に意識してなきゃならんことだと思っている。
先日書いた、「途轍もなくがっかりさせられて、悲しくなったこと」について、
詳しいことは書かないでいようかと思ったが(「当事者」が、オレのブログ読んだりしているようだから)、あえて書いておく。
職場から行けと命じられて行かされた人権研修のレポートを書くよう指示された若手が、パソの前で、難渋していた。
「そういうのは、取り繕わず、思ったことをそのまま書けばえーねん」
と、言ったオレに返って来たコトバが、
「元々、同和教育とか興味ないんですよね、ボクは差別されたこともないし、差別したこともないから。それでいーじゃないですか。ボクに何ができるわけじゃないですし」
いーわけないやろ? 自分に何ができるか考えろよ。
「当事者意識」のなさにもほどがある。
確かに、その手の研修は、担当者の力量及ばず、退屈なことも多々ありはする。それは認める。
ならば、それがいかに退屈で、効率的でなかったかをレポートに記せば良い。
のだが、返って来たコトバはそーではなく、
「元々興味ないんですよね」
自身の出自が、
地域だったなら、在日朝鮮人韓国人であったなら、低所得家庭であったなら、
と、なぜ思えぬ?
そういう連中と、教育などいうこと行っている場所で、共に仕事しているのが、
「途轍もなくがっかりさせられて、悲しくなった」
当たり障りのない、そして中味もないレポート拵えて、その場をやり過ごして来た癖に、
場合によっては、人権教育に携わることを己の出世のステップと考える、
そんな連中が、いろんなことども、したり顔で強制し人の自由を圧迫する、
「管理職」なんてのになったりしてるのだから、教育に限界あるの当然で、
若手にも何の期待もできないこと思い知って、
「途轍もなくがっかりさせられて、悲しくなった」
その若手が高校生だった頃、他でもないオレがその教壇に立っていたことに、
「途轍もなくがっかりさせられて、悲しくなった」
きっと、"第9地区"観ても、何も思わんのだろーな。
オレは今まで、誰に何を伝えられたんだろーな。
やれん……。