悲しくて悲しくて

昨日のブログで、


「幼少のみぎりより、そこに通うことだけが唯一の娯楽であった、ボンビー家庭のガキんちょだったアタクシ」


と書いたことで、不覚にも思い出しちまった悲しい話を書いておく。


「ボンビー家庭」ということについて、


「幼少のみぎり」には、世間知らずの幼少だっただけにオレ、自分の家庭が「ボンビー」だとは実は思っていなかった……。
別に、あそこに行きたい、どこかに連れてって欲しいと言うコドモじゃなかったし、活字を読んで、その世界で遊んでりゃ、それで充足していた。


のだったが、


小学3年か4年だった時、世間はボーリング・ブームで、


ウチから徒歩十数分のところにボーリング場なるものができていて、何をどー思ったのか、「ボーリングというの、みんなでやりに行ってみようか?」と言い出したオレのオヤジ、


家族揃ってテクテク出かけてみたものの、


いそいそ出かけてって、ボーリングというものができるというワクワク感に満ちあふれている息子を前に、


ボーリングという遊びをやるのにかかる金額目にしたオヤジ、


「こんなに高いなら無理やな」


と、そのまま踵を返して、半泣きのオレを引き連れウチに戻ったのだった。


そういう時、親というものは普通、自分たちはやらないまでも、息子に1ゲームくらいはやらせてやるものだろうと思ったオレは、その時明確に、


「あー、ウチは貧乏なんだ……」と、気付いたのでした。


それほどのボンビーだったのに、オレの親は、オレを中学から私立に放り込んで、「末は博士か大臣か」を夢見ていたわけで、


その夢というのは、有り体に言うと、


偉くなった子に依存すれば、自分たちは楽が出来るぞ!


ということで、


どうやらオレの親は、そんなことを本気で思っていたわけで、


そんな親の思いを知ってしまったことによって、オレは、


「お坊ちゃまエリート進学校」に通う、ボンビー家庭のひねくれ者になり下がってしまったわけで、


オレの親、育て方間違ったね。と、今でも思う。


悲しいね。


そんなオレの親は、


自分たちのしたいこと、やりたいこと我慢して、


「息子の将来」というそのことだけに、乏しい収入のすべてを投じたわけで、


それはそれで「あっぱれ」なのだが、


そんな息子は、


同窓生の多くがそうなっているところの、


医者にも、弁護士にも、大企業の重役にも、ましてや博士やお大臣様にもなりませず、


権威権力や金持ち嫌いの、


公立学校のやさぐれヒラ教員をやってるわけで、


おまけに、


世間が耳を貸すことなさそうな、金にならないやさぐれ音楽をがなっているわけで、


そんなことになってることも知らないまま、


老後のお楽しみというものも知らないまま、


オレの親は、あの世に行っちまったわけで……、


悲しいね。


なのだが、


やさぐれ教員の世界にも、


オレほどの「ボンビー」だった者が皆無であること知るにつけ、


恵まれ過ぎてる己の家庭環境が世間のスタンダードだと信じて疑わない若者馬鹿者見るにつけ、


オレは生涯、「マイノリティー」&「ボンビー」の味方でいようと思っております。


それはそれで、


間違ってねーな。ねーよ。


と、今のオレ、思っています。


それについては、悲しくないね。 ないよ。 ないだろ?