目ヂカラ

「目は口ほどにものを言い」と申しますが、


まっことそれその通りでございまして、


「眼(まなこ)」には知性というものが宿っております。


それは、ことニンゲンに限ったことではなく、


生き物全般において言えることなのでありまして、


ワンコやニャンコも、その目を見れば、そやつの心の有り様が覗けるような気が致すのであります。


なのですが、


ウチにニャンコが来て以来、不思議に思っていることひとつ。


ウチのニャンコは、生後間もなくに患った「猫風邪」の後遺症で、左目なんとか開いたものの右目は塞がったままだったのを、主治医のセンセに右目も開いて貰い、なんとか両の目見えているようではあるけれど、彼の目にこの世界がどのように映っているのかは、ホントのところはわからない。


しかし彼は、


「見える」というそのことが、己の「目」というものの機能によって司られていることを理解しているわかっている。


そのことそのものは、さほど驚くべきコトでもないのだけれど、


彼は、オレやカミさんが自分を見ているかどうかというそのことを、しっかりわかっている。


当たり前のことだと思うかも知れないが、


ニンゲンという生き物の、顔の中にある、「ふたつの目」というもので、ニンゲンが「見る」という行為をなしている、「目」が「見る」という行為を司っていることを、彼は誰に教えられたわけでもないのに理解している。


これ、ひとつの不思議。


音を「聞く」のが「耳」というものであり、ニンゲンにあってはそれが顔の左右にくっついているそれであるということを彼が理解しているかどうかはわからないが、


「目」で「見ている」ことは、完璧に理解している。
オレや、カミさんの顔を見て、目を見て、その表情と感情を読み取っている。


自分以外の他の生き物の「目」が「見る」ためのものであり、
「目」に感情というものが宿っていることを知る力が、遺伝子というものにあらかじめ書き込まれているということが、


なんともかとも、不思議であります。


そんなウチのニャンコの目は、
お目々パッチリの他のニャンコに比べると、ちっこいけれど、


そのへんのアホウなニンゲンの目よりも、



かしこく豊かな知性が宿っております。


親バカですが、何か?