ざんねんとがっかり
アタクシ、元々友好的なニンゲンではございませんのでして。
食いモンの好き嫌いは少なくて、ニンジンは大好きだが、ニンゲンの好き嫌いは結構ある。てか、ニンゲン嫌い(爆)。
世間には、己の主義主張ポリシーと相容れない人とも仲良く酒食らって「あっはーやっはー」騒いだりできる人もいるのですが、あたしゃそーゆーことできまっしぇん。てか、そーゆーヒトは、ポリシーなんての、ハナからないのかも知れんのですが……。
前の職場には、別にたいしたこともないのに必要以上に威張りくさっているお方やら、上に媚びへつらうことに熱心なお方やら、己の立場を守るために裏で立ち回って誰かを陥れようとするお方などなどが、仰山沢山おいでになられまして、そーゆーヒトが、漱石の『こころ』生徒と読みながら、「要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした」などようのココロを解説してるってのが笑止だったりしたのでありますが、現在の職場は、ま、そーゆー類のヒトが少ないので精神的に救われております。
前の職場がいわゆる偏差値のお高い場所で、現在の職場がそうではない場所だというのが、この社会を象徴しているようで情けない限り。
なのですが、
前の職場にあって、誰にも媚びない、疑問は口にする、長いモノに巻かれないというオレのよーなニンゲンは、そっち側のニンゲンからすると、「困ったヤツ」、「難儀なヤツ」だったわけで、
一般社会からすると、オレの方が「ざんねん」なニンゲンということになるわけ。
エラぶらない。
信じる前に疑う。
公平を心掛ける。
弱者の立場からモノを言う。
モノゴトを勝ち負けで判断しない。
自由を損ない束縛するモノに対しては断固戦う。
こんな風に生きようと思ってるオレを「難儀」に思うヒトたちの方が、
誰がどう客観的に見ても、
とっても「ざんねんなヒト」であるに違いないと思うのだが、
この世は、この社会は、残念ながら、「ざんねんな人たち」によって動かされている動いている。ざんねん。
で、最初、こいつはダイジョブだろーと思ってたヒトビトに、
「がっかり」することもしばしばあって、
「ざんねん」と「がっかり」でニンゲンの社会はできているみたい。
オレに「ざんねん」とか「がっかり」と思われたヒトビトはきっと、
上手に世の中を渡っていけることと思われます。
但し、
「尊厳」というコトバとは遠く離れたところで一生を終えることもまた、
間違いないと思われます。
ぷぅ〜。