崩壊感覚
むっかしむかしのその昔に読んだ筒井康隆の小説に、それがどの作品だったのか忘れてしもうたのだけれど、
経済構造が崩壊し、社会の質が下がっていくと、新聞紙面がどんどんお下劣になって行くという話があって、
最近、新聞眺めてると、それが実話になって来ているよーな気がしてならん。
昨今の新聞紙面、記事よりも広告の占める割合が明らかに多い。
その記事にしても、文化欄とは名ばかりの芸能ネタや、夕刊においてもスポーツ関連ばかり。
有り体に言って、ニュースはネットで読めるからと、購読する人の数が減り、読者の知的レベルが下がってんだろう。
それにつれて、広告出してる企業のレベルと質も、どんどん危うくなっている。
金運のお守りとか、バッタモンの匂いのする家電品や怪しげな健康食品の通販とか……。
先日は、1面の3分の1を使って精力剤の広告が打たれてるの目にして唖然。
スポーツ新聞や大スポではなく、天下の朝○新聞なのだが。
十年くらい前から感じ始めていたのだけれど、
社会の下支え中支えしている人々が謙虚さ忘れて傲慢になり、そんな人々の消費願望煽って儲けてる小賢い人々も、知性というもの持ち合わさぬただの拝金主義者。社会が歪まぬはずはない。
ここに来て、そんなこの国のヤバイ感、ますます加速されて来ているよな気がして、
あと50〜60年は、なんとか持ち堪えてもらいたいのだが。
って、自分さえ良ければいいのか?
いーんです取りあえず。オレに、壊れてくの食い止める力などございませんので。