別にある何か

古典音楽についての教育は受けなかった。ピアノとか、バイオリンとかね。
楽譜の読み方や基本は吹奏楽部で覚えた。でも、フレンチ・ホルンはつまらなかった。


楽器の演奏法についても、理論についても、正式に学んだことがない。


大学に入ってJAZZを始めた。SAXを吹いた。我流。


JAZZという音楽、高度な演奏技術を要する。そして、理論の理解も必要である。
オレ、高度な演奏技術を持っていなかった。そして、理論もほとんど理解していなかった。


それで何をやっていたのかというと、フリー・ジャズ
聞こえは良いが、要するに「デタラメ」をやっていた。


楽器演奏者の目標は、己の操る楽器を完璧にコントロールし、奏でたいメロディを音程の狂いなく、完璧にリズムに乗せて演奏すること。


なのだが、


オレは、それを放り出すところで「音楽」をやっていた。


そんなもの、やるに値しないし、聴くに堪えないと思われる。


にもかかわらず、オレのやっていたこと、
やるに値すると思ったのは、オレ自身だからそれはともかく、
共に演奏する人がいた。聴く人がいた。面白がる人がいた。


出てくる「音」に、何らかの「力」があったのだと思われる。



今、R&Rバンドやっている。歌を歌い、ギターを弾き、ハープを吹く。
歌も、ギターも、ハープも、完璧にコントロールできているとは言い難い。
コントロールするための研鑽は、積まねばならない。


けれども、


コントロールできないところでやっていたフリー・ジャズに「力」があったように、
それが、クラシックであろうが、JAZZであろうが、ロックであろうが、タンゴであろうが、ボサノバであろうが、
技術だけでは片付けられないところが、音楽というヤツには確かにあって、


それが面白い。


久々に、バッハやらサティ聴きながら本読んでたら、そんなこと思った。


ま、元々イージーなことしかやってないのにミスってるようじゃお話になんないから、基本的な技術くらいはしっかりせにゃならんのですけどね。