脳死は人の死か?
子のいないオレではあるが、
臓器移植後進国といわれているらしいこの国にあって、
この法律があれば、我が子の命は助かったかもしれぬ。と、考える親が多数存在するであろうことはオレにも理解できる。
が、その一方で、
脳死に至った我が子が、人工呼吸器等の延命装置によって生き長らえており、永遠に回復する見込みのない中でも呼吸を続け、心臓が脈を打ち、肌に熱を持っていることに日々喜びを感じ、共に生きていこうとする親がいることもまた、仔猫一匹が周辺をちょろちょろしているだけで、十分に理解できる。
だから、この法律によって「脳死が人の死である」と断じてしまうことには些かの疑問を感じざるを得ない。
のだが、
そういう感情は、親が子に対する時に抱く感情であって、子が親に対して抱く感情でないことも、また同時に理解できるのであって、
親が脳死状態に陥った時に、「それでもこの人は生きている」と思える子がこの世にどれだけいるのかは想像に難くない。
オレは、脳死に至り、心臓はまだ動いているオヤジに心の中で「さよなら」告げたわけで、
ニンゲンって、所詮は勝手な生き物だよな。
もしカミさんが脳死状態になって、心肺機能働いている時、オレがどうするかというと、
経済状態が許す限り、回復の見込みなくても、出来る限りにおいてそのままでいて欲しいと願うような気がする。
連れ合いの臓器によって、どこかの誰かが生き長らえることの可能性思うより、
毎日、ただ眠り続けている連れ合いの寝顔見ることの方を選ぶかも知れん。
ニンゲンの感情って、そんなもんだろ。
一律に線引きなんてできるわけねーよな。ねーだろ?