ハイブリッドな世の中だから
ここ20年以上、職場が変わっても自転車通勤なので、
日々、公共交通機関を利用するわけではない。
利用する時も、出不精だから、ほぼライブハウスに出掛ける時だけ。
大阪の地下鉄に乗っていると、周囲が多言語であることにイヤでも気づかされる。
旅行者然とした人たちばかりではない。
見た目ではそうとわからない、中国、韓国の人たち、ベトナム、フィリピン、或いは中南米由来の人たち……。
どんな時間に乗車しても、必ず、日本語以外のコトバが耳に入ってくる。
この国の、多言語化多国籍化が進んでいることを思い知る。
そして、思う。
この国の人たちの多くが、そういう人たちがこの国に移り住み、自分たちと共に生活していることに、
違和感を感じているのであろうことを。
彼彼女らが、我々の社会の様々な場所で、共に息をし、同じ空気を吸って生きている。
それに、違和感を感じているのであろうことを。
先の職場は、
もう、世代交代でほとんどいなくなったようだが、中国残留孤児由来の帰国生、渡日生枠を入学定員の中に設けている。
定員を超えて、一般枠の中で受験し、入学してくる者たちも少なからずいた。
それに対して、
今の職場、三学年、千二百人近い生徒数の中で、外国籍の生徒、片手ほど。
まだ、知らないふり、見ないふりをしていれば、
そんな人たちが自分と同じ土地で、同じ空気を吸いながら生きていることを、意識しないでも済むのだろう。
でも、この国のハイブリッド化は止まらない。
ますます進んで行くに違いない。
それを厭う多くの人たちの感情が、愛国や右傾化、ポピュリズムの根っ子になっている。
でも、
ハイブリッド化は止まらない。
国際化って、世界中のみんなが望んだことだったのだから。