大晦日に回顧

「公」について


かつての同僚、少なくない数の方たち(ほぼ女性)が、定年を待たずに早期退職、或いは高齢者特別休業制度を使ってパートタイムの勤務に鞍替え。
当座の生活に困らない方たち、現場から続々退場……。
それは引いては、現場の息苦しさが増していることの現れ。


個人的には、卒業していく3年生見送ってほっと一息。と思いきや、そのまま欠員のできた2年の担任に。
再任用教員の増加に伴って、フルタイムで働ける人手が足りない。現場の年齢層、四十台がほとんどおらず、二極化。
オレが再任用で働く頃(働きたくないけど)には、再任用でもフルタイム。担任もさせられるようになっているのであろ。
いや、普通に、定年が引き上げられていると考えるべきか……。


そんな教育の現場、外からも内からも「過保護化・幼稚化」が進んで、留まるところを知らない。


諸悪の根元は、「学校評価アンケート」なるもの。公教育をサービス業と勘違い。生徒と保護者のニーズが御大切。
どんなにくだらない、馬鹿げた要求希望であっても、それはできません。それは違います。ということが言えない、或いは、言わない。
個々の生徒からなされた評価が、数字となって現れ、それが給与に反映される。
となれば、多くの教職員は、生徒や保護者に対してどうすれば「受け」が良くなるのか、それを考えて立ち回るようになる。
まして、そんなやり方が当たり前のところに入ってきた新任教員などは、良い評価を得ることが自己目的化して何の不思議もない。
受けの良い教員がイコール、「知性」があって「確かな授業力」を有している教員であるなら、それで良い。


のだけれど、


評価する側の生徒たちの価値観は、教員にとって最も大切な、「知性」や「教養」に重きを置いているわけではない。
こう言っちゃなんだが、生徒らの大多数は「軽薄短小」でチャラいのである。チャラい若者たちの価値観が現場を左右することになる。
「学力」を高めることと「知性」を磨くことが別物だということを分かっていない者たちが下した評価に、「教員」ひとりひとりの資質や立ち居振る舞いが影響される。


要は、「中身のない薄っぺらい」教員でも、高い評価を得ようと工夫努力すれば、それなりの評価が得られる世界になっている。
逆に、「高い知性や教養」を有していて「学ぶこと」の本質からぶれることのない教員であっても、幼い生徒たちの側に擦り寄ることをしなければ、高い評価は得られない。かくして、高校の幼稚化は加速する。
「教えること、学ぶこと」にとって、それが最良最善の方法であるならば、「擦り寄る」ことも大切だろう。
でも、多くの場合、「擦り寄る」ことでもたらされるものは、あらずもがなのお節介。生徒たちの自立や独立心を損なっていることの方が多い。
「寄り添う」ことと「擦り寄る」ことは違うこと。
と、オレなどは常々思っているのだが、同じことを同じように思う同僚は、もはや少数派。


息苦しさいや増す中、オレはまだ妥協致しません。 のね。



「私」について


4月に「リンパ腫」の診断、
何の治療もしなければ1ヶ月、治療をしても3ヶ月から長くて半年と言われた、末の息子と娘。



半年の闘病の末、「みちろー」がオレの誕生日に逝きました。わずか、一年半の命でした。
イケ面で、やんちゃなかわいいヤツでした。
この世は、運命ってヤツは、とても不公平だと思ったのでした。



一方の「ゆめ」ちゃんは、抗ガン剤治療を続けながら、
ヒゲがなくなっちゃうという以外は、大きな副作用もなく、今のところ元気に致しております。
何よりも、センセが、「ゆめちゃんすごいねぇ。年越せるねぇ〜!」と、驚いております。


ギグ


「みちろー」の闘病介護もあったので、例年に比べて少なめ。
"The Monkey Business Extra Light"で23本、"夜の水たまり"が5本、の計28本。



"モンビジ"では、何本か、完全アンプラグドに挑戦致しましたのでした。
来年も機会があれば、やらかそうと思うのでした。
絡んだことのないドラマーさんとも絡んでみたいと思うのでした。



主催のイベント「からすプロジェクト 〜 日本国憲法をうたう♪」
手探りでありながら、まずまず、思いの一部は形にできたのでした。
来年、Vol.2に繋がればと思うのでした。



"夜の水たまり"、本数少ないながら、少ないがゆえ(?)、1本1本が充実致しておりました。


お世話になったライブハウス、お越しくださったみなさま、ありがとうございました。



一向に治る気配のなさそうな「喘息」を、飼い慣らしながら付き合ってかないといけないのでしょうけれど、


生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ。


ということで、


2017年も、よろしくお願い致します。 だぁよ。