こころ

高等学校なるものに、2年まで在籍していた人であるならば、必ず読むことになったであろう、漱石の『こころ』


それを、またぞろティーンズたちと読みながら、それを元にして拵えた定期考査を控えているのですけれど、


『こころ』を映画化した人が、過去、ふたりいることを知ってはいたのですけれど、


そのうちのひとりが、新藤兼人だったことは知っていたのですけれど、


その双方を観ないまま、


映画化した、そのもうひとりが市川崑であることを、確認したのでありますが、


そして、その映画のDVDを持っております、所有致しております、


という同僚がおりまして、それを貸し頂いたので、観たのですけれど、


所有していた、当のご同僚は、「観ていて眠くなりました」と仰っていたのですけれど、


そのご同僚は、小津の『東京物語』を、何度観ても眠くなると仰っていた方なので、


たぶん恐らく、オイラ的に、市川崑の『こころ』は、面白いに違いないと思いながら、観ましたところ、


頗る、面白うございました。市川崑は、やはり、優れた監督だと思いました。


原作のエッセンスを旨く料理していると思いました。


そのご同僚は、『アラビアのロレンス』を、頗るつきに面白かったと仰る方なので、


アタクシは、『アラビアのロレンス』は退屈だった者なので、


同じものを見聞きしても、その受け取り方は全く異なるものなのですね。


ということを、痛感致しました。


で、生徒からの情報で、



アニメ化された『こころ』があるのですけれど、


その映像化における「K」の造形が、あり得ません。違うと思います。これが「K」なら、お嬢さんが「私」を選ぶのは当然です。


と、その生徒、訴えていたのですけれど、



アタクシも、これは「K」と違うやろ?と、思います。


アニメ化した連中、なんですか、これは?


まさかの、受け狙い?