看板に偽りあり
バブルというのが弾けた頃から始まった、きな臭い流れ……。
とどまって欲しいと願ってきたけれど、とどまるところを知らず、ずるずると、
ここまで来た。 来てしまった。
改憲を争点にせず、改憲勢力が議席の2/3を超えた途端に、悲願の「改憲」を口にする首相。
何も、「改憲」を全否定するつもりはない。改めるべきところがあるなら、議論を重ね、正当な手順に従って改めれば良いと思う。
ただ、「日本会議」の連中が、それに属している「カルト」な集団が、その権力をほしいままにして、
現行憲法の何をどう改めたいと考えているのかというその要点を、最も簡単かつ単純にまとめると、
「国民の基本的人権は、国家が自由に剥奪できます」という形に改めようとしているということ。
国家が国民の生活のために奉仕するのではなく、国民が国家の維持のために奉仕する国に改めたいと考えているのだということ。
誇張ではなく、自由民主党の発表している、もはや憲法とも呼べない「草案」を見れば一目瞭然。
なのだけれど、どこまで愚かなのか、どうやらこの国の人たちの多くは、そのことを知らないらしい。
知っていて支持するのなら、それはさらに罪深い。
そこまでとんでもないことにはならないと高をくくっている向きもあるかも知れない。
けれど、
マイナンバーの導入、特定秘密保護法、集団的自衛権を認める安保法、かてて加えて盗聴法、
こんなものどもが、当たり前の顔をして通ってきていること、
メディアへの圧力、教育現場への干渉、などを思うと、
もはや、「改憲」は冗談ではなくなっている。
すでに手遅れのような気もするけれど……、
多くの人がそのことに気づく時が来るのか、気づかぬまま泥沼に沈んでいくのか、
泥沼を目の当たりにすることになるのは、情けない。 そして、悲しい。