夏休み終わったら「源氏」を読みますよー

朝起きたら、蝉さんたちが、わんわんしゃかしゃか、鳴いてはりましたので、
あー、いよいよ、夏の到来なのですね。と、思ったわけですが、


やたらに暑い。無闇に暑い。クソ暑い……。


暑い中、テスト期間、あと一日残しておりますので、
生徒のみなさまたちにおかれましては、黙々と勉強に励んでいたり、諦めてふて寝を決め込んでいたり、なのでげしょう。


明日、我が担当学年は「古典」のテストを残しておるのですけれど、
ちらほら、質問に来ていたりしたのですけれど、
そいつが最終日に3クラス分も帰ってきてまたぞろ採点地獄に陥るのですけれど、


「古典」の学習法って、実は単純極まりない。


古文にしろ漢文にしろ、ワンセンテンスずつ声に出して読んでみて、読めないところがあれば読めるようにする。
でもって、読んでみたワンセンテンスを、現代語に置き換えてみる。
置き換えられないところがあるなら、どこが分かっていないのか考える。
単語が分からないのなら、単語を調べる。言い回しがわからない時には、助動詞や句法や敬語の理解がおぼついていないからそれにまつわる知識を補填する。


実は、それだけ。


ネットなど駆使して、中途半端な(笑)現代語訳を見つけて「丸暗記」しようとする者が多いのですけれど、
それは、オイラの大学時代のドイツ語とおなじ。読解力っての一向に付かない。
オレは未だに、ドイツ語読めない。フランス語も読めない。哲学科だったが、ギリシャ語もラテン語も読めない。どころか、読もうともしない(爆)


例えば、「なほ、この宮の人にはさべきなめり」という一文。


「やっぱり、この中宮にお仕えする方としてふさわしい人のようですね」
などようの口語訳を丸暗記すれば、当座のテストはしのげるけれど、古文の読解力には繋がらない。


「さべきなめり」は、元「さんべきなんめり」、さらに元を正すと、「さるべきなるめり」
さらにさらに元を正せば、「さあるべきなるめり」が、音便化して端折られたもの。


ちゅことで、そもそもは、「そうあるべき(人)であるようだ」という現代語になるわけです。
んだからして、教科書の注にある「ふさわしい人のようですね」ちゅことになるわけで、


そういうことを理解するのが読解力ちゅことで、
「ふさわしい人のようですね」だけ丸暗記する者は、点数頂けちゃうのかも知れませんのですけれど、
古文を読解する実力というものにはつながらないのであります。


オレは、なんのかんので結果としてこういう仕事してるだけあって、「国語」なんちゅのキライじゃなかったから、
現代文であれ、古文であれ、漢文であれ、授業の前に、或いは授業中に、己の視点でテクストに目を通して、
「なんか、よぉわからんな、ここ、どーゆー意味やねん」というところ、そういう疑問を抱えた状態で授業に臨んでおりましたから、
授業で、その箇所に至った時に、「ほぉ、なるほど、そこは、そーゆー意味、そ−ゆーことだったのね」と、理解していたわけで、
授業中に、そういう思考を辿っていたなら、それを忘れることないわけで、


テスト前日に、国語という科目、一切、勉強したことございませんでした。


が、数学や、生物以外の理科系科目や、地歴公民系の暗記系科目は、
インスタント珈琲飲みつつ、当時は薬局で普通に市販されていたカフェインの錠剤、ガリガリ囓りながら、
一夜漬けで叩き込もうとしていたわけで、


人間には、嗜好とか志向というのがあるということも、重々承知致しておりますので、


文章を読むということに、嗜好や志向のない人には、何を言っても無駄ですよね。


でも、無駄は無駄を承知で、言いたくなったりするんだな、これが。
今のティーンズ、新しい国語の教科書手元に届いた時に、嬉しがってその日のうちに全部読んじゃう。ってコ、皆無ですから……。


にゃう。