さいなら2014

昨年暮れ、


寒空の下、駅前で、恵んでもらう餌でしのいでいた人懐こい野良ニャンコ、
年が明けて、保護救出に手をこまねいていたところ、車に跳ねられて昇天。激しく後悔する。
亡骸を一晩ウチに連れ帰って、葬る。


1月、またしてもインフルエンザにやられ、ライブ1本すっ飛ばす。
これによって、年間ライブ本数、30本に1本足りない29本にとどまる。


2月、加入した"夜の水たまり"で音源録り。初ライブの前に音源を録るという暴挙。


3月22日、我らが加入して新生なった"夜の水たまり"デビュー。のち、ライブ7本をこなす。


よって、"モンビジ"のライブは22本。
年間50本近くやっていた時に比べて半減。したけれど、それは計算通り。良く言えば、量より質にシフトチェンジを図る。


3月、"はなれごま"戸来くんの招きで、奈良で初のライブ。
その戸来くん、5月末、何にも言わずに彼岸へ。唖然茫然……。


4月、職場にいた白い野良子ニャン、生徒らが保護した二匹のうち一匹を一時預かり。
の筈が、預かりっぱなしに(笑)


6月、相方が近隣住宅の駐車場で、サバとら野良子ニャンを保護確保。
"ザ・ルチャドールズ"ボーカル・ナチョくんチに引き取られ、「かんた」として、「こてつ」という弟分もでき、元気に走り回っておりますなう。


7月、"石の拳"Tanyの兄貴からのお誘いあって、初「拾得」。
以後、定期的に出演させて頂くことに。2015年、"夜たま"も出演の運びに。ありがたし。


7月末、24日の朝からあった右目の濁りと飛蚊症、26日の"夜たま"ライブ終了しても治まらず、
翌日曜に診断診察しているレーシックの施術を受けたクリニックに行って診て貰ったところ、「網膜裂孔」の診断。
翌月曜、朝イチでデカイ病院に赴いたところ、もはや「裂孔」を超え「網膜剥離」と言われ、「特急便」の旗の立った診察表持たされて、検査に診察。そして午後、即入院。翌日に手術を受ける。1時間と聞いていた手術、3時間に及び、世の中にこれ以上痛いものは存在しないのではなかろうかという激痛に耐える。
その後、8月4日まで入院加療。11日まで眼帯生活。「剥離」の兆候があるといわれた左目も、レーザーで予防治療。


だったが、この間、ライブの予定入れておらず、インフルでぶっ飛ばしたライブ、入院したのに1本も飛ばさず。
仕事にも、長期休暇終わって即復帰。運が良いのか悪いのか。


当初、0.1あたりまで下がるかも?と言われていた視力、現在1.0あたりまで回復。
左右のバランスどうにも悪かったが、気にならぬところまで戻っている。まだ、1日3度の目薬は続いておりますが。


8月下旬、ライブにも復帰。


9月、茶とらの子ニャンを保護。
未曾有の人懐こいこやつ、体調が安定したところで無事引き取られ、「一休」ちゃんとして、日々"黒色青年"ギタボ・しんぐべぇのお膝で暮らしておりますなう。


10月、「十三 CLUB WATER」〜南海の大決闘vol.3 にお呼ばれ。全曲、Slabさんのドラムとのコラボを果たす。


11月4日、2度目の「拾得」、夜想のおしどり夫婦ユニット"虹色エレジー"さんを迎えてのツーマン。
客席にもおしどり夫婦がご来場。ありがたいことで。我々は「おしどり仮面夫婦」ですが(爆)。まだ、「拾得」は妙に緊張する。


15日、相方が保護活動をしている方から黒ニャンを一時預かり。
の筈が、預かりっぱなしに(笑)


16日〜20日、初の海外、シンガポール
マーライオンは、噂に聞いていたほどガッカリではなかった。が、日本のシンガポール化を唱えている連中は、やっぱりどうかしてるよな。と思った。
でもって、ここで出会った女子に時めいた胸キュンした。あ、オレもまだまだ現役なのだ。と、思った。


帰国後23日、九州から"博多ザ・ブリスコ"を迎えた"The Specialty's"に混ざって"夜たま"ライブ。
飯食うために働いて、生きてく中でいろいろある中で、25年、全力で音楽やり続けてきた、やり続けているというその姿に、
まだやるぜ。やりますよ。と、思った。


12月12日、モンビジ・ワンマン at 「梅田 HARD RAIN」
正直、20人来てくれたらカッコはつくかな?と、思っていた。
結果、40人超の人たちが足を運んでくれた。オレたちのために。
オレたち、もっと素敵にできるよな。できるよね。やらなきゃな。と、思った。
音楽を通してできた、繋がりに感謝した。しております。


16日、相方が一年に渡って通いで面倒をみてきた知人宅のワンコ、体調思わしくなく、見かねた相方、連れ帰った。
翌17日、静かに身罷った。飼い主でなく、相方が看取るという理不尽に絶句した。が、最期、暖かい所で看取られたのがせめてもの救いだと思った。


19日、闘病していた17歳が闘いに敗れ、愛したものどもから愛されることのないまま彼岸へ旅立った。
残った者ができることは、精一杯、いろんなものを、人を、愛すること。嫌だと言っても愛してやるぜ。


28日、"Sister Paul"さんの、「また一緒にやりましょう」のコトバ真に受けて、
半ば無理矢理ねじ込んでもらった「夜想」ギグ。音楽に全身全霊で向かっている"Sister Paul"さんの凄さを目の当たりにして今年のライブ締め。


忙しいと言い訳している場合じゃない。まだ老け込むような歳じゃない。
来年はきっと、アルバム拵えます。やって来たこと形にしよう。"夜たま"も、さらなる展開を。


そして年末、


どうやら好きになった相手とは終わったっぽい。というか、自ら終わらせてしまったっぽい。
カミさんがいて、カミさんに隠し事のない50オトコの恋。大団円が待っているわけもなく、


これでいいのだ。


とは申せ、終わり方に些か傷心のアタクシ、


晦日は、


難波ROCKETS」で、イカれたイカしたバンドマンたちと年越しすることに致した。


飲んだくれてやる(笑)


さいなら2014年。ようこそ2015年。


まだオレは生きてます。