驕らない威張らない倚りかからない

元々、


周囲の人たちの目を気にせずに放埒に行動するタイプのニンゲンではない。
かといって、誰かに、何かに、媚びるタイプのニンゲンでもない。
他人様を、自分の枠に嵌めたがるタイプのニンゲンでもない。


同業者には、というか、これは他業種でも同じだろうとは思うのが、
周囲の人たちの目を気にせず、わがまま勝手に行動するタイプのニンゲンは少なからずいるし、
誰かに、何かに、媚びずにはいられないニンゲンも結構いる。


そして、これは、同業者に特有のようにも思わないでもないのだが、
生徒という人たちを、自分の枠に嵌めたがるタイプのニンゲンは少なからずいるし、


いずれも、仕事を共にするにおいて、
個人的には、最低、最悪の人々なのではあるけれど、


そういう人々のありようを改めさせようと努力したところで、改まらないことはわかっているし、
無理に自分の枠に嵌めるのもなんですし(笑)、


教室という場においては、目の前にしている「生徒」という人格だけが相手なので、
まだ何とか適当にやり過ごしながら生きている。


のですけれど、


「人格」というなら、同僚よりも「生徒」の方が、「量的」に圧倒しているわけでありますから、
「生徒」という人格の目を気にしないかというと、気にするのが仕事でもありますわけで、
それが、教師という仕事において、最も難儀なところなのですけれど、


昔から、その難儀さをよくわかっているつもりなのに、
距離感や対応に下手を打って、場合によっては、下手を打ってもいないのに、とばっちりを食らって痛い目にあったこともあって、
通常の教師教員より、痛い目にあった数で言えば、かなりの上位に位置するのではないかと思われるのですけれど、
そんなことで上位に位置したいとはついぞ思わないのですけれど、


それは、「生徒」という人格に、人並み以上の興味関心を抱いて来たからかも知れん。
と、今になって思うわけで、


人の目を気にせず、手前勝手に振る舞いながら、他人様を自分の枠に嵌めることで悦に入っている人々は、
生徒たちから、恨まれこそすれ、馬鹿にされこそすれ、意外に、痛い目にはあっていなかったりするわけで、


それって、不平等だよな。と、つくづく思う。


そして、管理監視や、過保護化や、評価主義が加速する昨今、
「生徒」たちの目は、以前にも増して気にせにゃならんようになっておりますのですが、


気にしない人というのは、何がどうなっても気にしないのですなぁ……。


或いは、


気にするあまりに、かつて以上に、事なかれ主義やら偽善に走る人もおりますよねぇ……。


などようのこと実感するのですが、


かくいうワタクシも、


自身の嫌うところの、先に述べたようなタイプの方々からは、


この上なく、嫌われることが多いようで、


ま、いわゆるひとつの、賢い生き方という観点からすると、


誉められたものじゃ、ないんだろう。 な。


今更、改めるつもりもござんせんが。 ががが。