実習生がやって来た Yah! Yah! Yah!

って、この表題、


前にも使ったことあるよーな気がしないでもないのではありますが……、


教育実習生ってのがやって来まして、今年もまた性懲りもなくオイラは担当致しているのでありまして、


思うのは、これもまた、


何度も繰り返し書いたので、このブログを愛読されている諸兄姉におかれましては、


食傷気味なのだとは思いますけれど……、


それでもなお、あえて書き記しますと、


「教育実習」なんつーの、母校に戻ってやるべきではないと思っております。


勝手知ったる校舎教室、勝手知ったる顔のいるところより、
どーせやるなら、なーんも知らぬ、誰ひとり知る者のいない場所で、学んだ方が良いと思っております。


オイラは、己が卒業したガッコから、直線距離で650キロ、列車乗車距離にして950キロ離れた、
どんなトコロかまーったく知らないガッコで、「教育実習」なるものを致しましたので、


尚のこと、そう思うのです。


「センセ」というものになりたいと痛切に思っていたわけでもない、頭でっかちのロクデナシが、
結果、それぐらいしか生きていく手だてがないように思われましたので、そういう職に就いたという「たわけ」ではございますが、


それぐらいの経験を致した方が、どうせこの仕事やるなら、いーよーに思うのであります。


オイラが実習に行ったガッコの、オイラの担当者、
サイコーにテキトーな教師で、段取り力ほとんどゼロ、オイラが来ることすら当日になっても忘れている風情、
オイラに任せた、本来己が担当している授業、一度も見に来ず、センセの授業を見せて頂けますか?と言うと、露骨に嫌がる。


という、まだ年若い教員でしたが、


スーツなんちゅの持っていないし、交通手段ややこしいから、ノーネクタイにジャケットの今とおんなじ出で立ちで、中型バイク転がして通いましたが、それについて何を言うわけでなく、わがまま勝手にやらせて頂いたわけで、


そういう経験は、逆にありがたかったと今にして思っておるわけであります。
この経験がなかったら、アタクシ、今の仕事には就いておりませんでした。


就いてなかった方がよかったのかもですけんど……(汗)。


それに引き替え、今のアタクシは、実習生さんがいることにあれこれ気を配りつつ、日々を過ごしているわけで、


それがいーやら悪いやらではございますが、


リクルートスーツに身を固め、コバンザメよろしく担当教員の指示を仰ぎながら動かねばならない昨今の大学生というのは、


可哀相だなぁ。と、思うのであります。


別に、スーツなんて着てこなくてもいーのだけれど、それでも別にこちとら何にも言わないのですけれど、


枠をはみ出すことのできない若者たちを、知らず知らずのうちに無難を、定型を選択している若者たちを、


不憫だなぁ。と、思うのであります。


今、オイラが大学生であったとして、教育実習なんちゅものに出向くとして、
当時と同じように振る舞えるかと言われれば、それはどーだか、わからんのではありますが、


オイラのよーな学生を、「実習生」として受け入れる土壌があった時代には、


やはり、ガッコという場所にそれだけの「余裕」があったわけで、「遊び」があったわけで、


クルマのハンドルにも「遊び」というのが必要なわけで、


今のご時世、たぶんおそらく、メイビーパーハップス、


オイラのようなニンゲンを、ありのままそのまま受け入れる「余裕」やら「遊び」というのは、


ガッコという場にはもはや、どこにも存在していないであろうと思われるわけで、


それが、いろんなところでニンゲンを窮屈にしているのではないかと思うわけで、


みんな、「定形外」をおもしろがりましょーぞ。


そして、


自身も、「定形外」にやりましょーぞ。


という、「定形外」のたわごと。


でちた……。