ハートに火がつかない
一週間ぶりに職場に復帰。
生徒ら、別段喜ぶでなし。当の本人もまだ、さぁ仕事やるべ!という勢いがあるでなし、
勢い出ないところを、自ら叱咤激励して授業に臨んでも、
『平家物語/木曾の最期』、物語の世界に入り込んで面白がろうとしている者、見るからに少数で、
テンション上がらず……。
自身で用意準備して臨んだ、「死刑制度を通して考える」人権学習も、
「殺人犯など殺されて当然」と、特に疑問を抱くでもなく、考えてみるでもなさそうな生徒ら多数で、
甲斐もなし……。
空き時間、新聞掲載の活字あまりにちいさく、読む気が起こらなかったセンター国語、
問題もらったのでやってみる。
『源氏』から出題されて難度が高かったと噂の「古文」。確かに「素」で読むにはそれ相応のレベルが要求されるが、
そこはそれ、基本的な単語力と助動詞の判別能力をベースに、脚注と設問の選択肢読み比べれば、会話の主体が誰なのかの判別がつく、
主語の判別がつけば、話の流れも理解できるので、巷間言われているほどに難しいとは思いませなんだ。
が、
漢文の訓読が士族階級を担い手として日本全国に広まったのはなぜゆえか?を語る評論。
アタクシには頗る相性がよろしくございませんで、限られた時間の中で、確信を持って「これ」と言い切れる答えを導き出すのは至難でござんした。
インフルの後遺症で、まだ完全覚醒に至っていないアタマで読んだからかもしれんのですが、
だいたいにして、著者には申し訳ねーですけれど、ぜんぜん面白くねーじゃん。この本文……。
評判の悪かった、昨年の小林秀雄の文章の方が、アタクシにとってはずーっと読みやすくて面白いのでありました。
どーせなら、面白いもんを読ませろっつーの。ぷんすかぷん。
アタクシ、国語教師という仕事をしておりますが、現役受験生だったら、今回のセンター国語、
この評論のせいで、アジャパーになった可能性がございます。あばば。
我が職場、まだ高校1年生の諸兄姉に、国英数の3教科、「体験」と称して受験させようという運びになっておるのでありますが、
ここで私見を申しますれば、
国公立大進学へのモチベーションを高めるべく、センター試験を体験させたいのでありましょうが、
今、立ち向かっても、その道のりの遠さを思い知らせるだけ。思い知らせることに「意味」がある。と、主張する向きもあるのでしょうが、
あんまり意味があるとは思えない。
意味があると思えないことに協力荷担するのは、気乗りがしない。
というわけで、
本調子の絶好調に至るまでには、もそっと時間がかかる感じ。
うくく。