逮捕しちゃうぞ

近代司法国家には「無罪推定原則」というものが存在する。


「検察官が有罪を証明しない限り被告人は無罪として扱われる」というもの。


無論、この国も司法国家である。


横浜地検川崎支部の容疑者逃走事件、容疑者は名前と顔と全身写真を公開され、全国指名手配となって捜査員総動員でその行方を探索された。


本来、容疑段階で名前や顔写真を公表することは、刑事訴訟法336条や国際人権規約に抵触するのだけれど、
今回の件で、そして、どんな犯罪事件にあっても、この国では、そんなことを指摘する者は誰もいないし、そのことをおかしいことだとは思わない。


それは、この国の一審有罪率が99.9%を超えているからに他ならないのだけれど、


実はそれって、


犯罪事件の容疑者として逮捕された者は、裁判を待つことなく、逮捕されたその段階においてすでに「有罪」が確定しているも同然ということであって、
裏を返せば、「冤罪」によって逮捕された者も、裁判以前に「犯罪者」としての烙印を押されてしまうということ。


逮捕された者の1000人にひとりしか「無罪」にならないということを、


この国の警察と検察が群を抜いて優秀であるからだと考えるか、
予断によって強引に「犯人」に仕立て上げられたものがいるからだと考えるかは、微妙なように思われる。


ちなみに、一審有罪率というもの、世界レベルでみると平均80〜90%ぐらいだという。


この国では、「容疑者」として逮捕された時点で、その人物は、刑事事件の犯人として世間に名前と顔を晒されて、社会的地位や名誉は丸ごと葬り去られてしまう。


物的証拠に欠ける中、予断によって容疑者を特定し、逮捕を急ぎ、自白を強要する。
という前近代的な捜査や取り調べが今も現実に行われていること、不当逮捕、誤認逮捕の報は枚挙に暇がない。


今回、全国に指名手配された逃走容疑者、集団強姦強盗の容疑のようだが、どんな極悪非道なヤツかは知らないが、
弱冠二十歳にして、「有罪無罪」が確定する前に、己の「刑罰」が確定する前に、「犯罪者」としての顔を必要以上に全国に晒すことになったことは、


「自分の播いた種」と言えばそれまでなのだが、


哀れである。


逃走した容疑者の近隣で生活する人々の「怖さ」もさることながら、
「容疑者」を、凶悪な犯罪者として名前と顔を全国民に晒すということの「怖さ」を思うのであった。


この国では、嫌疑をかけられ引っ張られたトコロで社会から葬り去られる。


君子危うきに近寄らず。満員電車の中では両手を高く上げておくことをオススメ致します。