愛国という名の信仰

 「自分の国の神社に参拝するのに、こんなに大騒ぎするのはおかしいと思う」という大学生、


 「英霊に手を合わせ、感謝の念を捧げるのは国民の代表として当然」
 「中国や韓国がこの件を外交カードにし、参拝を批判するのは内政干渉だ」という作家(百田尚樹)、


自民党という政党が、安倍という男が、どうにも止まらない暴走を続けるのは、
実は、無知も確信犯的愛国者もひっくるめて、こうした声を発する、圧倒的な大多数に支持されているから、


馬鹿げたことではあるけれど、実際、支持されているのである。


 「英霊に敬意を表するのは当たり前。昨今の中韓の態度をみれば、靖国参拝について配慮する必要はない」
 「侵略戦争と表明した上で『命を落とした英霊によって今の日本があるので尊崇の念を表す』と言えば、中韓も反論できない」


などようのことをもっともらしい顔で公言する、政党代表ではあるけれど、たかが一市長でしかない人物のコメントを、メディアがわざわざピックアップしてばらまきたがり、彼がニュースバリューになるというのは、
それも、無知や確信犯的愛国者という圧倒的大多数に支持されているから、


これも、馬鹿げたことではあるけれど、実際、支持されているのである。


だとすると、


この国の暴走は、大多数の国民によって支持されているわけであるから、


そう簡単には止まらない……。何か、大きな変化がない限り、「愛国」の名のもとに、行くところまで突き進んでいくのだろう。


阿部首相靖国公式参拝の前日、25日の朝日新聞朝刊に寄せられた、作家星野智幸氏のコラムを引く
http://togetter.com/li/607261

 価値観を共有しない他者(中国や韓国)を軽蔑し、自分たち(日本人)を優越視し、自分たちの考えを絶対化して信奉する姿は、かつての宗教や政治セクトの人たちとそっくりである。
 違う点があるとすれば、かつてのセクトは少数派であり、社会から敬遠されていたが、今、「ナショナリズム信仰」に取り憑かれている人はどこにでも普通にいるマジョリティーであり、共感されることの方が多いということ。だから、自分たちを異端だとは感じないし、「普通の人が当たり前のことを言っているだけだ」という気分を失うこともない。
 何よりも、今、多くの人は、絶対に傷つかないアイデンティティーを渇望している。ナショナリズムはそれを信奉する人に一つのアイデンティティーを与えてくれる。「自分は日本人なんだ、日本人はまじめで粘り強く頭がよく、規律正しく団結力があって、苦境を乗り越える力を持っている、そんな日本人の一員なのだ」。そう考えれば、自分が個人として抱いている劣等感も消え、強い存在のようになったかのように感じられる。


 「愛国心」という名の同調圧力は、あらゆる集団で「同じであれ」と要求してくる。「日本人」を信仰するためには、個人であることを捨てなければならない。が、はみ出し孤立し攻撃のターゲットになるくらいなら、自分であることをやめて「日本人」に加わり、その中に溶け込んで安心を得たほうが、どれほど楽なことか。
 経済的停滞と労働環境の悪化、それに伴う人間関係の破綻、恒常的な不安の中、大震災と原発事故が起こった。巨大な喪失感はいつまでも埋めきれず、希望を抱ける要素もなく、不安定な心と揺れる感情を抑えられない、存在の危機に瀕している多くの人が、安心と安定を求めている。
 「日本人」信仰は、そんな瀬戸際な人たちに、やすらぎをもたらしてくれる。安倍政権を支えているのも、安定を切望するこのメンタリティーだろう。


 もちろん、このように有権者が自ら主体を放棄した社会では、民主主義を維持することは難しい。だが、進んで「日本人」信仰を求め、緩やかに洗脳されているこの社会は、自由を失うという代償を払ってでも、信仰と洗脳がもたらす安心に浸っていたいのだ。
 それがたんなる依存症の中毒状態であることは、言うまでもない。みんなでいっせいに依存状態に陥っているために、自覚できないだけである。
 この状態を変えようとするなら、強権的な政権を批判するだけでは不十分だ。それをどこかで求め受け入れてしまう、この社会一人ひとりのメンタリティーを転換する必要がある。難しくはない。まず、自分の中にある依存性を各々が見つめればよいだけだから。


星野氏は「難しくはない」と言う。「難しくない」ことであって欲しいと思う。が、そう簡単なことでもないように思う。


東京で開催されるオリンピックは、「愛国」の同調圧力を高めるために、可能な限りにおいて大いに利用されるに違いない。やがて、憲法は改定され、知らないうちに国民の基本的人権は大きく損なわれ、兵役を含む義務ばかりが強調され、周辺国を軍事力で睥睨威嚇しながら自ら戦争のできる国になる道を選ぶのだろう。その上で、この国に拠点を置かずこの国に生きる者に寄与貢献するところの少ないグローバル企業に、より大きな金が流れ、貧富の差はますます拡大していくだろう。


そうなってから気づいてもあとの祭り、この国の民主主義や自由は死に絶える。


自分の中にある依存性、各々が見つめられるかどうか……。