本当のことなんか言えない

言えば殺される。


そういう国になっていくらしい。


国家というものが、その利益を守るために、あれこれ画策していることどもについて、
内緒とか秘密というものはある。ということはどうやら前提になっている。


オレなどは、そういう前提ですら、「くだらん」と思うところのあるニンゲンなのですけれど、


そんなオレが信頼に足ると思っている人物の多くが、「内緒やら秘密というものはある」ということを認めた上で、
今回の「秘密保護法案」については大きな懸念を抱いていることを表明している。
パブコメの結果も、理由はともあれ、「反対」の意見が多数を占めていた。
お上の御用新聞であるところの「産経」、「読売」の各紙であってさえ、この法案には異議を唱えている。


そんな中で、議論を尽くさぬまま、数にものを言わせての強行採決


国民全体の利益のためでなく、天下国家を預かる者ども自身の利益のために、早急に国民に隠したいことがある。知られたくないことがある。


ということくらいは、下衆が勘ぐらずとも、わかるお話。


そしてそれが、他の諸々もあるにせよ、


東京でのオリンピック誘致を控える中、「完全にコントロールされております」と世界に向けて豪語したものと関係がなくはないだろう。


ということも、下衆が勘ぐらなくても、わかるお話。


そして、憲法を改定して基本的人権をなきものにしたがっていたり、こういう法案を成立させたがっていることを知りながら、


そんな政党を政権党として祭り上げたのが、国民自身だというのが、愚かな話。
知らずに祭り上げたのだとしたら、末期的……。朝三暮四のサルに等しい。


我らがサルでないことを証明する機会は、来るべき次の選挙で「NO」を突きつけること。


なのですが、


先の選挙で「NO」を突きつけなかった人々は、他でもない自身の目先の損得のみを考えているわけで、
国益の名の下に、自身の損得を勘定しながらこの国の行く先を決めていこうとしている連中とは、その損得の算盤の桁が違っているだけ。


我々の暮らすこの国が素敵な国であるために、今後、本当に必要なものが何で、要らないものが何なのかを、


もう遅いかも知れないのだけれど、遅くないと信じて、


考えませんか?