手口に学ぶ

東京都内でのシンポジウムにおける麻生副総裁の発言


  「あの手口学んだらどうかね」


憲法改定(ボクは、護憲派ですからあえて「改正」とは書かないけれど)について、
「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった」
そのナチスの手法に倣って、憲法はなし崩し的に改定されるべきであるし、そうしたいと思っている。


という主旨の発言であったとしたら、そういう考えを有している人間が、一国の副総裁のポストにあるということは問題どころの騒ぎではない。


のだけれど、


ネットでこの日の発言を彼自身の音声で辿る限りにおいて、
この発言は、さすがに、そういう主旨で語られたものではなく、


  靖国神社への参拝も、昔は静かに行っていたのである。各総理も行っておられたのである。
  それを騒ぎにしたのは他でもないマスコミである。いつのときからか、騒ぎになった。
  政府要人の靖国参拝を、マスコミが対外的に大きく騒ぐから、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぐ。
  国家のためにその命を捧げた方々への敬意を、参拝という形で表すことに何の問題があるのですか?
  靖国参拝も、静かに粛々と行えばいいではないですか。


  ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。
  ヒトラーはいかにも軍事力でとったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。
  ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
  ワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。
  常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。


  憲法改定も靖国参拝と同じ。マスコミがわーわー騒ぐから、ややこしくなる。
  狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
  進んだ憲法下にあってもヒトラーが出てきたという、過去の教訓に(あなたがた)マスコミも学んだらどーかね?


と、いう主旨で語られたものであるらしい。ま、普通に聴いて、そう思う。
改憲派」ばかりが集うシンポジウムにおいて、調子に乗って、取材のためその場にいるマスコミ各人に向けたイヤミの言葉として、


  「手口学んだらどうかね?」というセリフは吐かれた。


のだけれど、それはそれで、


マスコミが「改憲」について、「軍国化」への不安を言い募るから、スムースに運ぶものも運ばなくなる。
オレたちはこの国のことを真剣に考えて草案作って改定に向けて動いてるんだ。おまえら、いらんことごちゃごちゃ言うな。
静かな中で進んでいけば、この国の憲法は、然るべき形にうまく変えることができるんだから。


と、言っているわけで、


しかも、


当時のマスコミがごちゃごちゃ騒いだことによって、ヒトラーが登場し台頭したのであれば、
そのことを教訓として学び、マスコミは国政の動きをただ静観していればよいということにもなるのであろうが、
ヒトラーを台頭させたのは、マスコミがその本来の「わーわー騒ぎ批判する」という機能を全うしなかったできなかったことにも起因しているわけであるから、マスコミに向けて語られた、「わーわー騒ぐな」という批判は、整合性を持ちえない。


かてて加えて、


ナチスのやり方やり口を持ち上げているかのように曲解されかねないような言葉遣いしかできない、この国のことを考えていると言いながら、この国の言葉をまともに使用することもできないオトコが、この国のかつての総裁であり、現在ただ今、副総裁を務めているというのは、


それはそれでとてもお寒い話ではある。


  「あの手口学んだらどうかね」


「あの」は「ナチス党」を指し示しているし、
「手口」は「ナチの狡猾なやり方」を指し示している。
そして、この言葉は誰に向けて発せられているのかわからない。
そこに集った、自分の嫌いなマスコミ各氏に向けられたものであったとしても、マスコミに「ナチスのやり方の何をどう学べ」というのかがさっぱりわからない。


高等学校国語教師として、麻生氏の発言は、言葉の誤用とともに、その主旨に整合性を欠くため「0点」
ま、「未曾有」が読めない人に、この国の行く末を背負わせちゃダメでしょ?


ということ。


そして、


揚げ足を取りたくなるのはわからないでもないけれど、マスコミはマスコミで、
この国の副総裁が「ナチ賛美」を行ったなどように対外的に受け取られかねない報道を軽々に垂れ流すのでなく、
発言の前後関係を踏まえた上で、批判すべきところの焦点を絞って、世間に流しましょうや。


ということ。


まともなヤツは、どこにいる?