安上がりな国家の安上がりな仕掛け

国内では、


叫ばれている内容をそのままコトバにするのもおぞましい、在日外国人排斥のデモが公然と行われ、


海の向こうでは、


何が彼らを駆り立てるのか、理解の遠く及ばない破廉恥で野蛮な日本と日本人バッシング。


そんな中、


安倍政権が「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」なんちゅの開いた。


どうやらこの国はもはや、「国民国家」であることを放棄しつつあるらしい。


「国はもう、国民の面倒は見ない。それぞれどうぞ勝手に生きてくれ」
すべては「安上がり」に済ませたい。自分のことは自分でやってくれ。


と、言いたいけれど、大きな声では言えないから小さな声で言っていて、聞こえている人の耳には届いている。
というのが、自民党安倍政権のスタンス。


いままでみていた面倒をみなくなれば、文句を言うヤツも出てくる。国家としての求心力凝集力は低下する。
だったら、文句を言わせない仕掛け、凝集力を高める仕掛けが必要になる。


金をばらまいてご機嫌伺いすることのできない今、凝集力を強めるには、


とりあえず、「精神」で統合を図るしかない。


日の丸、君が代靖国神社、主権回復の日、国民栄誉賞や、ポップスターにも進呈するもろもろの叙勲
「俺たちは日本人だ」、「日本は素晴らしい」という雰囲気を盛り上げ、孤立感を強く抱きながら生きている者ほど顕著であるところの「連帯したい」という感情を糾合する。


安倍政権を礼賛し、愛国の旗を振っている人々が、自分たちこそが実は切り捨てられる側なのだことに気付いていない。
安倍政権を批判している人々は、右傾化・軍国主義化への不安をあげつらうだけで、批判のポイントを見失っている。


慶応大学教授・片山杜秀氏の見立てはとても興味深い。


「安く上げる」ために、利用価値のあるものは何でも利用する。
そもそも、日本の精神主義は「持たざる国」であったことに端を発している。
現実を直視せず、常に背伸びをして頑張る、頑張れば、きっとそのうち何とかなるさ。
「精神力」でカバーすれば何とかなるという精神風土は、為政者にしてみれば、「安上がり」に済ますにはうってつけである。


なのだけれど、今、


「精神力」で頑張った後、こうすれば日本は繁栄するよ、みんないい暮らしができますよ。


というビジョンは「何もない」。


この後に待っているのは、
「自分のことは自分でやってね。老後のことも自分と家族でなんとかしてね。国は知ったこっちゃないからね」
という政治と国家の開き直りだけ。


高度資本主義国家のたどる末路といえばそれまでだけれど、


面倒なことをしたくないのが新自由主義、海外で戦争するなんてのは面倒なことの中でも最高に面倒。
そんなことを安倍政権が本気で考えているわけはない。と、片山氏は言う。


ま、そうなんだろう。そうなんだと思う。


ただ、


安上がりの国家に下駄を預けられた結果、
「切り捨て」られて、「自分のことが自分でできなく」なったけれど、「精神」で統合糾合を図られたこの国の人々が、


「やるんかコラ」、「日本人舐めんなよ」と、怒りの矛先を外に向けないという保証は、


どこにもないようにオレなどは思うのである。


思いたくはないけれど。 ね。