揺れる
携帯電話の「緊急地震速報」がけたたましく鳴って目が覚める。
間髪を容れず、揺れる。ゆらゆらと。結構長い時間。
だったが、下からせり上がり突き上げて来る感じはなく、
何を慌てるでもなく、テレビの速報で震源地と規模を確認してから二度寝。
あとから、そんなことでよかったのかしらん?
など思ったが、集合住宅、慌てて逃げ出す方が危険なような気もする。
ドアが開かなくなっても、いざとなりゃ、ベランダから脱出もできそうだし……。
東北にいた頃は、これくらいの揺れは頻繁にあった。
関西圏は地震が少ないと思っていたが、それは過去の話なんだろう。
この島国が地震列島であるにせよ、そうでないにせよ、いずれにせよ、
原発なんていらない。
ほとぼり覚めた頃に再稼働目論む者どもへの、喉元過ぎれば忘れる者どもへの牽制球。だったと思いたい。
にしても、3.11以降のきな臭さ、半端ではなく、
福島原発、何の収拾つくでなく、放射線まき散らし垂れ流し続けている中、
メディアには、改憲、軍隊法制化、徴兵制導入、核兵器保持を口汚く説く者ども、
ネットには、中国、朝鮮、韓国への誹謗中傷嫌悪の渦。姿なき悪意と悪意がせめぎ合う。
人々の意識が、求めている世界が、両極に裂けていく。
暗澹たる気持ちになる。
村上春樹氏の新作『色彩を持たない多崎つくる……』、売れているようだけれど、
氏の作品をまともに読み取り、受容する感性を有している人間なら、
改憲を唱える政治屋を支持支援したり、感情的な諸外国バッシングに荷担したりしないはず。
一体どこの誰が、何を思って春樹の小説を読んでいるのか?
氏の小説を面白がりながら、その一方で、改憲唱えたり、偏向したナショナリズムに酔っている者もいるのか?
だとしたら、
文学の力って何なんだろうな?