捨てる勇気を拾う者

ライブ明け、授業三発。


にしては、結構良い仕事してますよオレ。我ながら(笑)
この仕事のメインであるところの授業っちゅのに、前の職場での経験が生かされてるっちゅ感触があるのが面白い。


ま、何をどこまでできるかはわからんってなもんだが、
公の顔は公の顔で、私の顔は私の顔で、境目がないっちゃないのですけんども、中途半端にはしませんぜ。しないようにしよう。


と、思ったわけだった。


閑話休題


読んでみちゃろと思った永山則夫の「木橋」、構内LANのデータベースで調べると職場の図書館にあるようだから捜索に、


出かけたら、司書室のドア開いたところにある平台の上に古い文庫本の山が目に入る。いつもはスルーしているのに目に入る。


幾つかある山のてっぺん、表紙に黒マジックで大きくバッテンつけられているのは、永山則夫無知の涙」。


「ん?」これって、シンクロニシティーですやんかいさ〜!


と、ユング先生に報告したくなったりしながら「無知の涙」手に取るオイラの姿に気付いた、図書館の番人している同僚のセンセ、「あ、そこにあるのは廃棄処分にする本ですから」


学校図書館の役割は、生徒たちの読書意欲を喚起させることとそれに応えることがイチバンで、資料の保管は二の次。だから、場所を取るだけで今の生徒らが手にしない、資料的価値もそれほど高くない古い本は捨てることにしました。捨てるのはすっごく勇気がいりますけど」
「バッテンついてる本は抹消処理が済んでいるから、持っていってもらっていいですよ」と。


で、廃棄扱いの文庫本の山を崩していくと、表紙にバッテンつけられた「木橋」を発見発掘。


他にも、カードで貸し出しの管理していた頃の、福永武彦「風土」、吉行淳之介「街の底で」などなど、捨てられるの忍びないので救出(笑)
したのはいいが、内部まで黄ばみが浸透しきっているものは、さすがに読みづらい。ちゅか、読めない感じがありますな。確かに。


なのですけんど、


構内LANのデータベースで調べた時に、「無知の涙」も「木橋」も引っ掛かってきたわけで、
そっちのデータも抹消せにゃならんのでは?と、ちょっと思ったが、


それは、Just another story....


そんな、捨てる勇気を拾い集めていたオイラは、性懲りもなく、中一日でまたまたライブ。


6月9日はロックの日。京都御池「夜想」にお越しやす。出番はトリなんだってさ〜。