あらかじめ埋め込まれた恋人たちよ

今日も今日とて、草臥れて帰宅。


したが、リセットすべくスタジオへ。音出しながら歌いながら、


漱石の『夢十夜』の「第六夜」を思い出す。


運慶が仁王像を彫っているのを見て感心していると、隣の男が「なぁに、運慶は木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言う。
自分も仁王像を彫ってみたくなって、家にある木を彫り始めたが仁王は出てこなかった。


という話。
夢十夜』の中でも、理に落ちた感じがする話なので、国語の教科書にもよく採られている。


運慶は、仁王の眉や鼻を鑿で作るのでなく、あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すのだ。と言う。


音楽をやる者は、これから奏でようとする音を、時間と空間の中に楽器や声で呼び起こそうとする。
音楽は、あらかじめ時間と空間の中に埋め込まれているものを、楽器や声で掘り出す作業なのではないか?


あらかじめ埋め込まれた仁王をそのまま掘り出せた時、演奏者は納得し、充足する。


でも、


時間と空間の中に埋まっているはずの仁王を探すのはなかなかに難しい……。