Long time ago

"Long time ago 45年前、原子爆弾が落ちてきて……"
と、キヨシローが歌ってすでに20年。そのキヨシローもすでに亡く、


原爆投下時5歳だった人が、すでにして70歳。
日を追うごとに風化していく記憶。


オレは勿論、「戦争を知らない子供」なのだが、


文学から、映画から、絵画から、写真から、旅の記憶から、
「戦争」というものが何だったのかを、見聞きし、それなりに理解している(つもり)。


職場でしばしば起こる「君が代日の丸論議
20代30代の同僚たちが、何をどう考えているのか全く見えない。
30代は構造的に、もとより少数。


まともに話をすることしたことほとんどないまま、
彼彼女らは沈黙を保ちながら、管理職、ひいては教育委員会文科省が通達するまま、国旗日の丸に向かって直立敬礼し、蚊の鳴くような声で君が代を歌う。


先日たまたま、若手同僚の書いたブログとそのレス目にしたが、


「国のことを歌わない国歌は個性がない」
「現行国歌に反対する人は、日本のこれが素晴らしいんだよって事が歌にするほどあるのかな?」
「反対だけなら誰でもできる!確かに、じゃあコレを歌のテーマにしたら?っていうことを言ってる人はとても少ない」
「歌ないのも何か寂しいし」
「いろんな解釈ができるっていう曖昧さが何より日本ぽい」
「さくらさくら、にしたらいいんちゃう?雰囲気似てるし」
エトセトラエトセトラ……。


そこでは、ふっくらと柔らかく温かい同意と共感の中で、


国というモノに国歌は必要であるということに疑問の介入する余地はなく、
国歌斉唱の強制に反対する者は皆、「君が代」だから反対しているのだと思っている節もあり、


要するに、


この人たちは、起立と言われれば素直に起立し、歌えと言われれば歌うのだろう。


そのくせ、映画『火垂るの墓』見れば、きっと涙を流す……。


そのギャップが、オレには到底理解できない。


オレ個人は、


「日の丸」は、あまたある旗の中で、一二を争う秀逸なデザインだと思う。
君が代」は、七五調というこの国の言語の特質を生かした、類を見ない独特かつ個性的な歌だと思う。
それでも、国歌を改めて制定するなら、スキヤキソング=「上を向いて歩こう」が相応しいのではないかと思う。


だが、話の本質はそういうことにあるのではない。


あなたは、『長距離走者の孤独』を読んだことがあるだろうか?
全国至る所のガッコというガッコで日々行われている学校行事、
オレは、クラスの勝利のために走ることを強制されたくはないし、クラスの勝利のために合唱コンクールで歌わされるのもゴメンなのだ。


国旗国歌もまた同じ。礼をしたければすればよい。歌いたければ歌えばよい。
ただ、それは強制されてすることではない。


何であれ、国家という権力がそれを行使して、民衆に対して国家に忠誠を誓わせることを強制強要し、拒む者があればそれを断罪するという、そんな構造を、教育システムの中に取り込み、それを機能させていくことが、この先どういう意味を持つのか?どういうことに繋がるのか?それを思いめぐらす「想像力」の問題なのです。


憲法9条を改定(敢えて、改正とは言わない)しようとしている人々は何者なのか?
そういう人々と、国旗掲揚・国歌斉唱強制すべしと謳う者どもが、どこでどのようにリンクしているのか?
美しいこの国を守ろう、お国のために戦おうと、かつて民意なるものが一丸となった時、いち早く前線に送り込まれ、命を落としていった者どもがどういう者どもだったのか?誰がなぜ戦争をしたがったのか?したがっているのか?


オレの本業は、そういう類の「想像力」を磨く手助けをすること。


なのだが、


「想像力」は、悲しいかな、時を経て、着実かつ確実に失われつつあるという実感あって、


10年後、原爆投下時5歳だった人は80歳。


記憶が風化したところが荒野になっていることを、


想像したくはない……。