言葉はみんな生きている

生き〜ているから困るんだ〜♪


と、歌っている場合ではないのでして、


旧知のバンドマン兼ポストマンのトロ(=小鳥)が自身のブログに、


お客さんに「ご苦労様です」と、よく言われる。これがあんまり好きじゃない。「いや、別にあんたのためちゃうわ」と思う。今日も20回ぐらい言われた。上から物言うみたいで、偉そうな感じがしませんか?
本当に感謝の気持ちがあって、その労をねぎらうのなら、『おつかれさま』、『どうもありがとう』、今なら『暑いから気をつけてね』やろ?ちゃうか??


と、書いているのがどーにも引っ掛かった。


トロは、「ご苦労様です」と言われると腹が立つが、「お疲れ様」と言われるのはオーケーなようなのだ。


オレの語感とまったく異なるこの反応。曲がりなりにも日本語のあれこれ生業にしているゆえ、どーにも引っ掛かる。


「ご苦労様です」と「お疲れ様」の違いについて。
検索かけたら、悩ましい人多いようで、やはりあります色々と。


で、これがイチバン丁寧かつ真摯に書いていて共感できるところも多く、ここも参考に致しながら、これらを踏まえてちょこっと考察。


どうやら、企業に就職すると、新入社員はビジネスマナーなるものを教え込まれるらしく、昨今そこでは、


「ご苦労様」は目上から目下
「お疲れ様」は目下から目上
「お疲れ様」としておけば無難


などと教えていることが多いそーである。で、この事実を聞いて驚愕。
先の方も書いているように、はっきり言って「逆」であると思われる。


「ご苦労様」は本来、「役職・お役目・仕事」に対するねぎらいの言葉。そこには、感謝の気持ちも含まれている。
その意味において、宅配の配送者が荷物を配達してくれた時、「ありがとう」の意味合いで「ご苦労様」と言うことに問題があるとは思えない。配達はその人の役割、お仕事なのですから。


駅前で議員が「皆さん、朝早くからのお勤めご苦労様でございます!」など街頭演説をしているけれど、それは自分が有権者より目上だと思っての発言ではない(ま、上だと考えているヤツ多いとは思うけど)。この場合の「ご苦労様」は、お勤め(役割)に対するねぎらいの言葉として機能しているさせている。


むしろ、


「お疲れ様」という言葉は、下々の者どもに職責を付与した側が、された側に対して、その職責を全うした、或いはしようとしていることに対する誉め言葉と考える方が妥当なのではないか?


社長が上司が、一日の仕事を終えて会社を後にする時に、その背中に向かって「お疲れ様でした」と言うことの方にむしろ違和感を覚えますが、どうなんでしょ?オレは、とてもじゃないけど、失礼に過ぎて言えません。


「ご苦労様」はどちらかと言えば目上の人に、「お疲れ様」は目下の人に用いる言葉、というのがオレの語感としての常識なのですが、先のビジネスマナーの例を挙げるまでもなく、現代人の語感は混沌を極めているよーである。


ウチの職場の若者たちの多くも、年長者に対して日々「お疲れ様でした〜」を連発している。言われる分にはイチイチ訂正しませんが(先輩ぶってどーのこーのする気もないですけん)、オレ自身は年長者に対しては決して使いません。帰る人を見送る時も自身が先に帰る時も「失礼します」を用います。


だから、同じ意味合いにおいて、宅配の業者さんや、郵便屋さんにも「お疲れ様」は使いません。使うのは、「ありがとうございます」か「ご苦労様」。


なのだけれど、


トロのブログを読むと、
「ご苦労様」と言われることに腹を立てる郵便屋さんが現実に存在するのであるから、声を掛ける側としては万全の注意を払わねばならないわけで、こうなると、もはやどちらが正しいとかの問題ではなくなっており、いくらこちらが正しくても、「ご苦労様」と声を掛けることで、ワタシはアナタは、郵便屋さんから、宅配業者さんから、「上から目線で偉そうにしやがって」と、恨まれたり嫌われたりするわけです。恨まれた挙げ句に、暑さと過酷な労働のストレスにキレた怒りの矛先を向けられることがあったりするかも知れない……。


だから、


現代の社会では、「ご苦労様」も「お疲れ様」も、どちらも使わない方が良いのかも知れません。
「ありがとうございます」これが万能!


ライブハウスで、先にリハ終わったバンドさんに、先に本番終わったバンドさんに、


「お疲れ様でした〜!」じゃなく、「ご苦労様〜!」でもなく、


「ありがとうございました!」で行こー!


と、いうわけにも行かないのが言葉の難しさ。ですな……。


と、ここまで書いていて、わかったことひとつ。


トロはポストマンだが、バンドマン。「お疲れ様でした」は聞き慣れている。
リハ終わりに、本番終わりに、バンドマンは決して「ご苦労様でした〜!」とは言わない。
なぜならそれは、「ご苦労様」には上から与えられた仕事の匂いがするからなのであろう。そして、「お疲れ様」には、自発的な行動に対する評価の匂いがするからなのであろう。


ということは、
「ご苦労様」=「役職・仕事」に用いる。
「お疲れ様」=「遊び・自発的行動」に用いる。
という用途区分分類分けをするのが、より正しいと言えるのかも知れませぬ。


そして、


「おつとめご苦労様です」、オレは言われたことも言ったこともねーですが、
その場面で「おつとめお疲れ様です」と言わないのはなぜか?


それはきっと、抱えているモノの重さの違いによると思われる。
「ご苦労様」=「抱えていた仕事は相当重い」
「お疲れ様」=「あまり大したことしていない」


ん〜、ならば、トロは「お疲れ様」の方に腹を立てた方がいいのだが、「ご苦労様」に腹を立てている。


となると、


要するにトロは、やりたくもねーのにやってる仕事であるから、「ご苦労様」と言われて腹が立つ。遊び感覚でふわふわやってるよーに見せかけたい本業に「お疲れ様」だったら腹も立たないと。そーゆーことなのかしらん。


まっこと、言葉は難しい。


あー、ちなみにウチのクルマのカーナビ、
自宅まで戻って来たら、「お疲れ様でした!」とねぎらいの言葉をかけてくれます。
ま、たいしたことしてませんのでね〜。
「おつとめご苦労様でした!」とは言ってくれませぬ。
てか、カーナビに「ご苦労様でした!」と言われたら、「オマエ、機械のクセに何様やねん」と思ってしまう。「別にあんたのためとちゃうわ」というトロの腹立ちの感覚は、これに近いよーな気がする。


突き詰めると、


相手が「あんたのため」と思って働いているかどうかの違いに集約されるのか。「あんたのため」と思って働いてくれている人に、「ご苦労様です」と言っても問題はないが、そうでない場合はむかつくというコトなのかもしらん。


自宅に訪れて、エアコンやテレビの設営してくれた家電業者さんに、或いは荷物の搬入を完了した引っ越し屋さんに、「ご苦労様です」と言った時、それがどのように受け止められるかは、相手次第。
大家の庭を剪定にやってきた植木屋さんのシチュエーション、落語によくあるが、家の主が植木屋さんに「ご苦労様」という場合、それに違和感がないのは、主従関係がハッキリしているからというだけではなく、「あなたのために」木を剪定させてもらってますよという植木屋さんの心の持ちようが影響しているのではないか。


電車やバスやタクシーの運転手も、ショップの店員も、運送業者も、引っ越し屋も、その大多数が多分恐らく現代ではお客のためには働いていない。
教師は生徒のために働いているのだが、それが当然だと思って敬意を払うことを忘れてしまった生徒や保護者が増えている。


勝ち組負け組言ってる癖にタテマエ平等な社会の中で、上からとか下からとか、そういうことなしにしようしたいと思いながら、なしにすることできませず、現代人は上下含めた人間関係に過敏になっている。
人の顔色伺いながら、「KY」にならぬよう精一杯気を使って生きている。だから、共通理解の得られそうな「当たり障りのなさそうな便利な言葉」が幅を利かせる。


「お疲れ様です」が万能になりつつある状況には、そういう社会的力学が荷担しているよーな気がするのでありました。


てな感じに、言葉のこととなるとこだわってしまうアタクシ、


5年ちょっと前にやったこと、前任校のWeb Pageに載っかってたりするのだが、どーやら需要が結構あるらしく、オレの知らないところであっちゃこっちゃで使われたり引用されたりしているという噂。
舞姫 現代語訳」でググったらトップに顔出しするよーですが、それ、オレの仕事です。なので、自分でもUPしときやした。
『舞姫』森鴎外著 / ko-1訳
高校ん時、擬古文なんか難しくて読めねーよ!と、まともに読まなかった方読めなかった方、明治の遺産を現代に蘇らせましたので一読あられかし。