浅川マキを聴いている

新聞読む前にルンペンズ・ワダのブログで、浅川マキさんが亡くなったことを知った。


先の見えないビンボー学生だった20代前半、繰り返し聴いていた。
テニスにサーフィン、スキーに興じる健全な若者の中、そんなヤツ、もてるわきゃねーな。


フォークをひょいと飛び越えて、童謡やらブルーズやらロックやらジャズやらスピリチュアルの世界を泳ぎながら、日本語に昇華した唄が身に染みた。


CDの音質に懐疑的で、再発された音源を自ら廃盤にしたという逸話も今日知った。



『マイ・マン』は、レコードで持っている。


なのに、一度も生でその姿を拝み、声を聴くことがなかった。
好きな人には、会える時に会いに行かなきゃ後悔するな。


しばらく聴いてなかったが、


バンド離れてユニットやる時は、男と女の違いはあれど、
リスナーが黙り込んで下向いて、拍手のひとつもできないくらいの、
重たく引きずるような楽曲やらかすのが、オレの身に合ってんじゃないかな。


と、浅川さんの唄聴きながら思う。


彼女の言葉借りるなら、オレだって、


「時代に合わせて呼吸をするつもりはない」からさ。


合掌。